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2007年6月

2007/06/26

ゾディアック

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:デヴィッド・フィンチャー

犯人を特定することに混迷を極める難事件。その担当となった警察官が、寝食を忘れて取りつかれたように事件にのめり込んでいく様子。「プレッジ」(2001)のジャック・ニコルソンや「ブラック・ダリア」(2006)のアーロン・エッカートの姿が思い出されてくる。

謎に飲み込まれてしまう警察官なら珍しいことではないが、本作品では、直接事件には関係していない新聞社の風刺漫画家グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)がそうなってしまうのだ。そこが実に興味深い。仕事として行う事件調査は、調査のために要する時間を必ず制限され、どこかで一線を画することができる。

だが、グレイスミスのようにその制限から外れて、事件に没頭してしまうとどうなるのか。それが解決されるのならいい。どんなに時間がかかっても、その時間に比例して喜びや満足感が味わえる。第三者からも称賛を受けるであろう。だが、一生解決されないとすれば、どうであろうか。物語のような鮮やかなエンディングにはならないのだ。

そもそも、彼が事件解決することを誰が望んでいただろうか。その為に家族も仕事も無くしてしまうことに、何の意味があるのだろうか。妄執に囚われてはいけない。

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2007/06/18

アポカリプト

製作国:2006年
製作国:アメリカ
監 督:メル・ギブソン

奪うものが奪われる。本作品は、徹底したその反復から成り立っている。ファースト・シーンで野豚の狩りを行うジャガー・パウ(ルディ・ヤングブラッド)であるが、マヤ帝国の生贄にために捕獲されてしまう。その実行にあたった傭兵部隊も、隊長の息子を始めとして、その仲間たちも次々にジャガー・パウに逆襲される。

そして、彼らの悲劇を生み出したマヤ帝国も、ラスト・シーンで海に現れたスペイン船に滅ぼされてしまうのだ。因果応報とも言えるこの繰り返し。今日の栄光は明日の挫折を生み出すかもしれない。

ここで印象深いのは、ジャガー・パウの父親の存在である。冒頭の狩りのシーンで、何物かに襲撃されて新しい居住地を探す部族に遭遇するのであるが、その後の彼の態度に驚く。彼らの凶事が自分達にも起こるのではないかと恐怖するのが普通であろう。実際、ジャガー・パウも心に恐怖が住み着く。

だが、この父親は恐怖心を消し去れという。単なる言葉だけでない。自分が殺されようとするその瞬間まで、変わることがないのだ。危険を察知し、適切な行動を取ることがリーダーたる資質なのかもしれない。だが、一方で、起こることはどんなに足掻いても防ぎようがない。自然のままに身を任せるというのも、一つの生き方であると考えさせられた。

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2007/06/11

大日本人

製作年:2007年
製作国:日本
監 督:松本人志

何故、最後はああいう形で映画を終幕させていくのか。フェイク・ドキュメントという形で物語は進められていくが、終盤で一気に変転してしまう。映画としてはあのまま流れていけば、もっと収まりの良い感慨を抱くだろう。それを斬新とみるか、破綻とみるか。

実際、いろんなレビューを読んでみると、エンド・クレジットで流されるシークエンスが一番笑えたということも多く書かれている。そこにコメディアンとしての松本人志監督の資質とサービス精神が凝縮されているのかもしれないが、それだけではないような気もする。

あの場面変化は、大日本人としての仕事の終焉を意味しているのではないだろうか。陰謀めいた方法で一般大衆の人気を下降させ、悲惨な形でその存在意義を経つ。インタビュアーもマネージャーも、その一翼を担っていたのだろう。

何を話しても気持ちが通じていかないコミュニュケーション不全の哀しみと共に、はっきりとした実態のないものに操られている不気味さも感じる。

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しゃべれども しゃべれども

製作年:2007年
製作国:日本
監 督:平山秀幸

三つ葉(国分太一)が芸の真髄を気付く時、体調不良である場面が反復されている。腐った弁当を食べて食中毒になったり、前の晩の痛飲がたたった二日酔い状態であったり、立っているのもやっというひどさある。そういう状態なのに、それまで立ちはだかっていた壁を彼は乗り越えてしまう。

ここが興味深い。平静なときには気付きを邪魔する想念というものがあるのかもしれない。一般常識、価値観、定義、そういうこうあれねばならないという思い込みは、ある種の成長を阻害するものなのだろう。その状態を打破する切っ掛けは非常のときに訪れるものなのかもしれない。

だが、それには、別の何かになりたいという強い願望があってこそである。それは、三つ葉に落語を習う3人にも言えることである。ただ落語を習ったから変わったのではない。それまでの常識を打ち破るような苦しみや喜びと遭遇したから、変化の切っ掛けを掴むことができたのだ。

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そのときは彼によろしく

製作年:2007年
製作国:日本
監 督:平川雄一朗

恋愛ドラマの秀劣は、恋する者たちの気持ちのすれ違いをいかに設定するかに掛かっていると思う。たとえ現実味がなかろうと、ご都合主義と非難されようとも、この設定がうまく機能していれば、気持ち良く映画の中に入っていける。

その設定を巧みに隠せばミステリー感も増してくるし、その設定に期限を加わればサスペンス感も出てくる。二人が結ばれるにしても、別れ別れになるにしても、すれ違いの設定によって感動の度合いが変わってくる。

ということで、本作品であるが、その設定がうまく機能していない。まず、花梨(長澤まさみ)の病気がこれに相当するが、明らかになるのが早過ぎて、物語の吸引力を失ってしまう。不自然な彼女の行動を分かりやすくする計算なのかもしれないが、これではドラマに深みがでない。

また、花梨が幼なじみであるということを智史(山田孝之)がなかなか気付かないという設定も中途半端。子供時代の回想を前半はもっと押さえて、後半で一気に明らかになれば、かなり印象は違っている。

同じ原作者の「いま、会いにいきます」(2004)はなかなかの秀作であったが、これと比較してみれば、本作品のマイナスポイントが次々に浮かび上がってくる。

つまり、この映画はもっともっと面白く仕上がる筈なのだ。花梨に関して徹底して光が集まってくるように計算された映像のアイディアは素晴らしかっただけに、余計に惜しまれる。

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2007/06/04

パッチギ LOVE & PEACE

製作年:2007年
製作国:日本
監 督:井筒和幸

前作「パッチギ」(2004)は井筒監督のキャリアのピークと断言していいくらい素晴らしい出来栄えであった。暴力シーンもたくさん出てくる映画ではあったけれど、テーマと物語が絶妙に噛み合わさっており、とても洗練された印象を抱く。様々な想いがクライマックスに流れる「イムジン河」で収斂されていく様は全く見事なものであった。

その前作と比較すれば、明らかに本作品の完成度は高くない。個々のエピソードは確かに面白いものであるが、バラバラのままであるという感じが拭えない。

ではあるけれど、それをもって本作品をマイナスポイントとするのはどうも違うような気がする。井筒監督は、そんな完成度など全く無視して、自分の撮りたい場面をどんどん作り込んでいったのではないだろうか。本作品にはそういう勢いの良さと力強さを感じる。

最も大切なのは、在日朝鮮人が特攻隊映画の製作会見を見てポロリとこぼす「俺たちのことも語り継いでくれや」という台詞にあるのではないか。在日朝鮮人がいかにして日本で生きてきたか、そのことを伝えてくれる機会は本当に少ない。そうした意味で、本作品は貴重であると思う。

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