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2007/05/28

主人公は僕だった

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:マーク・フォースター

何故、この女流作家カレン(エマ・トンプソン)はスランプに陥ってしまったのか。これまでの著作で登場人物をことごとく殺してきたのは、彼女自身が死に取り付かれてしまったからではないか。彼女の過去が本作品では全く触れられていないが、未だに心の中で整理されない悲劇があったのではないかと推測される。

その逃避行為から、自分の死を想像し、小説の場面に取り入れているのだろう。その死を繰り返し続けているが、書き進めなくなってしまった。それは、小説の主人公が限りなく彼女に同化してしまったのではないだろうか。主人公の死は自分の死である。

普通に考えれば、自分の想像で書く小説なのだから、いかようにも登場人物たちを動かせると思えるのに、そうできないのだから興味深い。

ハロルド(ウィル・フェレル)にカレンの声が聞こえてしまうという異常な事態は、ハロルドを殺したくないという心情から起こるものだろう。それは、自分を殺したくないという思いの表れでもある。自分の宿命を受け入れ、決然と生きたハロルドの姿を見て、カレン自身が救われるのである。

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