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2007年5月

2007/05/28

レイヤー・ケーキ

製作年:2004年
製作国:イギリス
監 督:マシュー・ヴォーン

イギリスの裏社会を舞台にしたスタイリッシュな群像犯罪サスペンスといえば、傑作「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98)を思い出す。あの錯綜したドラマがクライマックスで見事に収斂していく展開は、本当に見事なものであった。

その製作者であったマシュー・ヴォーンの初監督作品である。自然と比較してしまうが、その事により本作品のマイナスポイントが浮かび上がる。まず結末で、様々な伏線が一つの点へ集まっていくような流れになっていないことである。バラバラのまま、これで終わってしまっていいのかという感じだ。

次々に起こってくる難問をいかに主人公が解決していくのか、それもドラマの焦点であるが、こちらも安易であまりに都合が良すぎる。

そもそも主人公は冷静かつ狡猾なというキャラクターであるので、あっと言わせるような頭脳戦を見せてほしかった。時系列をバラバラにして構成は、一瞬、理解ができなかったが、そういう狙いを理解すると面白くなってくる。全体的に消化不良の感じだが、スピーディーな展開はテンポいい。

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胡同(フートン)のひまわり

製作年:2005年
製作国:中国
監 督:チャン・ヤン

何故、父親(スン・ハイイン)は、異常とも思えるほどにシャンヤンを画家の道へ歩ませようと固守するのか。無論、文化大革命による強制労働中に腕を負傷して画家の夢を絶たれた無念な思いを、息子に託したということは分かる。だが、本当にそれだけであろうか。

もう一つ、気になることがある。マンションに移りたいと懇願する妻と別れても、頑なに胡同の街で暮らし続けることだ。そこに、直接的で分かりやすい理由があるのなら、気持ち良くドラマに酔いしれることができる。だが、異国の地で暮らす私には、腑に落ちないのだ。

もっとも驚いたのは最後に父親の選んだ行動だ。そんなことを望んでいたのかと知ったとき、誤った価値観を持って適切でない判断を繰り返してきたことも分かる。哀しいというより虚しくなってしまう。ひまわりを育てるように、家族と接しれば良かったのに。ありきたりな人情ドラマではない分、心に残るものはある。

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主人公は僕だった

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:マーク・フォースター

何故、この女流作家カレン(エマ・トンプソン)はスランプに陥ってしまったのか。これまでの著作で登場人物をことごとく殺してきたのは、彼女自身が死に取り付かれてしまったからではないか。彼女の過去が本作品では全く触れられていないが、未だに心の中で整理されない悲劇があったのではないかと推測される。

その逃避行為から、自分の死を想像し、小説の場面に取り入れているのだろう。その死を繰り返し続けているが、書き進めなくなってしまった。それは、小説の主人公が限りなく彼女に同化してしまったのではないだろうか。主人公の死は自分の死である。

普通に考えれば、自分の想像で書く小説なのだから、いかようにも登場人物たちを動かせると思えるのに、そうできないのだから興味深い。

ハロルド(ウィル・フェレル)にカレンの声が聞こえてしまうという異常な事態は、ハロルドを殺したくないという心情から起こるものだろう。それは、自分を殺したくないという思いの表れでもある。自分の宿命を受け入れ、決然と生きたハロルドの姿を見て、カレン自身が救われるのである。

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2007/05/21

俺は、君のためにこそ死ににいく

製作年:2007年
製作国:日本
監 督:新城卓

本作品について、いろいろと思うところがあるのだが、その最たるものは、エピソードに目新しさが感じられないことであろう。

ここ数年、「男たちの大和 YAMATO」(2005)、「出口のない海」(2006)、「硫黄島からの手紙」(2006)など太平洋戦争末期に兵士たちがいかにして戦い、いかにして死んでいったかを描いた作品が立て続けに公開されている。それぞれに、今まで知ることのなかった事実を見せつけられて、大いに心が揺さぶられた力作ばかりである。

これらの作品と比べれば、あきらかに見劣りしてしまうのだ。それは降旗康男監督、高倉健主演「ホタル」(2001)に登場するエピソードとかなりの部分で重なるからである。クライマックスでのホタルの乱舞にしても、どこかで観た事のあるような既視感を覚え、盛り上がらないことと言ったらない。

本作品でもっとも観たかったのは、鳥濱トメ(岸惠子)が特攻隊の母と呼ばれていくまでの交流の逸話である。後に憲兵隊にまで逆らうくらいの深い思い入れを見せるのは何故か。本作品にはその説得力がない。真に必要だったのは、訓練生のときからの細かいエピソードの積み重ねだったと思う。

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ニワトリはハダシだ

製作年:2003年
製作国:日本
監 督:森崎東

どうして、この家族は別々に暮らさなければならなかったのか。サム(浜上竜也)の教育方針を巡る対立という表面的な理由も示されているが、それだけではないような気がする。

時に、意地を張らなくては生きていけないこともあるだろう。お互い惚れた者同士の想いは消えていないのに、我を捨てることができない。

警察汚職。在日朝鮮人。知的障害。様々な社会問題を含んだコメディであるが、こういう頑なな生き方を貫くところは良質なハードボイルド小説のようであった。

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アンジェラ

製作年:2005年
製作国:フランス
監 督:リュック・ベッソン

問題解決の第一歩は、現状を正しく認識することだと思う。

人生に行き詰まり自殺しようとした男の元に、美しい天使が現れ助けてくれるという寓話性に満ちた作品であるが、印象深い描写があった。

アンドレ(ジャメル・ドゥブーズ)は借金取りに追い詰められて言葉多く嘘を並べるが、何の解決にもならない。嘘をつくことは、現実の否定であることを感じさせる。

アンジェラ(リー・ラスムッセン)との不思議な冒険を続ける中で、じっと鏡を見つける場面がある。ここで、彼は偽りのない自分の姿を認識するのであろう。彼の再生はここから始まったと感じる。

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トリスタンとイゾルデ

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:ケヴィン・レイノルズ

1500年以上前のケルトの伝説を元にした悲恋ドラマであるが、その当初の設定に驚愕する。イングランドがアイルランドの圧政に苦しめられていたというのである。

近年でもケン・ローチ監督が「麦の穂を揺らす風」(2006)でも取り上げられているなど、イングランドの圧政に苦しむアイルランド人の苦悩ばかり強烈に頭の中に焼き付いている。

これが史実であるのか未確認ではあるけれど、これが事実であれば、その認識とは全く逆の設定である。民族対立の歴史とはなんと奥深いものなのかと衝撃を受けざるを得ない。

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2007/05/14

スパイダーマン3

製作年:2007年
製作国:アメリカ
監 督:サム・ライミ

何故、犯罪を起こしてしまうのか。全ての犯罪者が悪意を抱いているわけではない。犯罪を起こすには起こすなりの理由がある。このスバイダーマン三部作に登場してきた悪役たち、グリーン・ゴブリン、ドック・オク、そして本作品のサンドマン(トーマス・ヘイデン・チャーチ)も、観る者に同情を呼ぶような動機が提示されている。

コミック映画にありがちな世界征服を目論む現実感のない悪者ではない。それはいい。

だが、同情すべき理由があろうとも、やはり犯罪行為は認められるものではない。その行為によって、別の誰かが傷つくこともあるからだ。本人がその罪で苦悩するのは自業自得である。

しかし、残された家族はどうなるのか。本作品で言えば、サンドマンの娘である。1シーンだけしか登場してこないが、自分の病気ために父親が殺人を犯したと知り、彼女はこの先の生涯、どんな気持ちを抱いて生きていくのか。大いに気になってしまう。生野慈朗監督の「手紙」(2006)のことを思い浮かべてしまうのだ。

「バベル」(2006)に出てきた台詞のように、彼らは悪人ではないかもしれないが、愚かな行為を選んでしまった者たちである。

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バベル

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

本作品が終わったとき、強い違和感を覚える。予告編などの事前情報で、この映画のテーマは言語間の違いなどによるコミュニケーション不全であり、聾唖者のチエコ(菊地凛子)はその象徴であると思い込んでいたからだ。だが、どうも違うような気がしてならない。

自分の思いを相手に伝えられないという悲しみも確かに描写されていて決して誤りではないのであろうが、それよりもイニャリトゥ監督は別の事を訴えかけていたのではないか。

因果応報という言葉がある。過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。だが、人の行動は簡単に善悪で分けることができるのか。

アメリア(アドリアナ・バラーザ)が子供たちに語る「私は悪人ではない。愚かなことをしてしまっただけ」という言葉こそ、本作品の主題ではないか。

そして、悪意のない一人の行為が、別の悲劇の始点となるかもしれないし、別の悲劇の終点となるかもしれない。ヤスジロー(役所広司)が猟を趣味としてライフルを所有していたこと。そこから、様々な悲劇が生まれ、めぐり巡って彼に救済をもたらす。

一つの悲劇に囚われるな。悲劇はすべて自分の行為が原因で生まれるわけではない。起こってしまったことは、一つの宿命だと思い、受け入れるしかないのである。そして、そこから何をすべきか考えることが大切であると思う。

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ロッキー・ザ・ファイナル

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:シルヴェスター・スタローン

4月16日、バージニア工科大学銃乱射事件。4月17日、長崎伊藤市長殺害事件。4月18日、NASA職員殺害事件。4月20日、東京都町田市立てこもり事件。2007年の春、何の因果か、日米で銃犯罪が相次いでに発生している。

ひとつひとつの事件の動機が全て解明されているわけではないのですが、報道によると恨みを果たしたいという動機が共通しているように感じられます。自分の人生がうまくいかないことをすべて他者のせいだと考えてしまうこと。そのために凶行を引き起こすことで溜飲は本当に下がったのでしょうか。

本作品ではロッキー(シルヴェスター・スタローン)が息子ロバート(マイロ・ヴィンティミリア)に、「他人のせいにするな。人生は自分で切り開け」と懸命に訴えかけるシーンが屈指の名場面になっております。この言葉が犯行前の犯人たちに届いていればと思わずにはいられません。

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