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2007年2月

2007/02/28

父親たちの星条旗

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:クリント・イーストウッド

過去と現在が行き来する複雑な構成。そのために時間の経過に関係なく、兵士たちの苦悩が永続していることを見事に表現していると思う。真の兵士は何も語らない。その言葉が重く響く。

それにしても戦時中のアメリカで、あのような秘話があったとは驚きだ。戦時国債を売るために、ひとつの嘘を突き通そうとする。そうした思考法、発想法は現在のアメリカにも通じているものだ。

その欺瞞に対し、キャンペーンに回る3人の兵士たちの反応も、それぞれ分かれていて絶妙な配置となっている。英雄を演じることを積極的に取り組む男、ごまかしに耐え切れず自滅していく男、良心の呵責に耐えながら静かに過ごす男。3人のあり様自体が深い問い掛けになっている。

クリント・イーストウッド監督は、またも力作を生んだ。そのことに感服する。色調を抑えた映像は巨匠の風格を思わざるを得ない。監督自身による音楽が切ない余韻を残しつづける。

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2007/02/19

世界

製作年:2004年
製作国:日本/フランス/中国
監 督:ジャ・ジャンクー

冒頭のシーンが印象深い。絆創膏を探して楽屋を渡り歩くヒロインのタオ(チャオ・タオ)。元気の良い言葉と態度から、彼女はこの“世界公園”に君臨する女王のようである。

だが、映画が進む内にそうでないことが分かってくる。世界公園という開放感があるような場所に居ても、彼女はどうにもならない閉塞感にとらわれている。この対比が絶妙に巧い。

彼女はどこかへ行きたいと思っていても、どこにも行けないでいる。だが、彼女と接触する人々は、次々とこの地を離れていく。この対比も秀逸である。

それらは、現代中国の発展と矛盾を象徴しているように感じる。彼女はこの後にどんな人生を歩んでいくのか、とても気になります。

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2007/02/18

チーム★アメリカ ワールドポリス

製作年:2004年
製作国:アメリカ
監 督:トレイ・パーカー

本作品でもっとも印象深いのは、捜査で中近東の酒場に潜入したゲイリーがアラブ人たちの前で「テロの計画がないのか」と訊ねて、周囲が凍り付いたようになってしまうところ。

彼らにはテロではなく、あくまでジハード(聖戦)なのである。ここでシニカルな笑いを生じさせるが、冷静になってみれば深く考えさせられる。それは、いかに物事を自分側しか見ておらず、相手側から見る視点に欠けているものなのか、痛烈に描写している。

また、タカ派だけでなくハト派も徹底的に皮肉った視点で作られているところもユニークだ。つまり、何かを盲目的に信じて行動することは可笑しいものなのだ。自分の行動が何を引き起こしているか、その結果を見据えて軌道修正することが必要ではないだろうか。

劇中で歌われる「モンタージュ」なども爆笑ものであった。

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2007/02/16

ブラック・ダリア

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:ブライアン・デ・パルマ

原作を読んだときにも感じていたことであるが、何故、リー(アーロン・エッカート)は「ブラック・ダリア」事件に常軌を逸するほど没頭していくのか。ここがこの作品のポイントである。

人生を巧妙に立ち回って、ハイクラスな生活を送っているようであるが、何かに追いかけられる心情から逃れられないでいる。心に欺瞞を抱え、安らぐことがない。その解決策を模索し、結果的に破滅への道を突っ走ってしまう。

それは幸福への道とは程遠いものである。リーだけでなく、バッキー(ジョシュ・ハートネット)、ケイ(スカーレット・ヨハンソン)、マデリン(ヒラリー・スワンク)と主要な登場人物たちはその心情にどこかで通じている。その為に、映画全体が逼迫感で包まれているように感じられるのだ。何かを求め、何かを失っていく悲劇がここにある。

最後の謎解きがあまりに駆け足になってしまい味気なく感じさせるが、クラシカルな雰囲気を再現させた映像や美術は秀逸なものであった。

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2007/02/13

16ブロック

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:リチャード・ドナー

人は変わることができるのか、できないのか。この主題が映画全体を貫いていて、ぶれることのない脚本となっている。

10時まで証人を裁判所までに届けなければならないという時間のサスペンスと共に、主人公二人は変わることができるのか、諦めてしまうのかという緊迫感も随所に散りばめられているところも秀逸だ。

人は何を持って変われることができるのか。一つの夢があるかどうかにかかっていると思う。エディ(モス・デフ)には、ケーキ屋という明確な答えが用意されている。では、ジャック(ブルース・ウィリス)の場合はどうか。彼はこの事件によって、何を見出すのか。

言葉にすれば、つまらないことかもしれない。だが、映像で語られることにより、深い感銘を受けることになる。

失意の中で暮らす主人公がある事件によって再生していく話は特別珍しいものではないが、意表を付く展開を緩急自在の演出で作られており見応えある仕上りとなっている。

クリント・イーストウッドの「ガントレット」(1977)を連想させる逸話もあって、ニヤリとさせられる。

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2007/02/10

クライング・フィスト

製作年:2005年
製作国:韓国
監 督:リュ・スンワン

失意の主人公が人生の再起を掛けて、もう一度試合に望んでいく。そんな主題にボクシングはぴったりだ。「ロッキー」(1976)や「シンデレラマン」(2005)など、秀作も多い。

こういうドラマをオーソドックスに作っても、それなりの感動を呼ぶが、新奇性には乏しくなる。本作品の特徴は、こうしたありがちな話を、若者と中年男と並列に描いていくところだ。このアイディアがなんといっても秀逸。

それは、どちらにも感情移入を呼び込み、一体、どちらを応援していいか分からなくなってしまう趣向となっている。全く接点を持たない二人が初めてリングでぶつかり合うとき、最高の盛り上がりを見せる。

シナリオを拝して文字通り死闘を繰り広げた二人。感情を大いに揺さぶられる。

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2007/02/05

佐賀のがばいばあちゃん

製作年:2006年
製作国:日本
監 督:倉内均

仕事のため面倒が見られない母は息子を故郷の祖母の元へ預ける。今まで見たこともなかったおばあちゃんとの二人暮らしが、心の準備もないまま始まってしまう。この設定は韓国映画の「おばあちゃんの家」(2002)を想起させる。

それまでの生活とは一変する状況に、少年はどのようなカルチャーギャップを受けるのか。わがまま放題し続けて、おばあちゃんを困らせる韓国映画のサンウ少年に対して、本作品の明広少年は母恋しさに涙を見せるばかりだ。動的にしろ、静的にしろ、二人の少年はやがて生活に適応し、おばあちゃんとも心を通わせていく展開は感動的だ。

本作品の不満は、そのエピソードがいささか弱いところにある。磁石をつけた鉄くず拾い、川に竹ざおを張って上流から流れてくる野菜くずや下駄を集める。ばあちゃんの生活の知恵には感心するが、<がばい>と驚くほどのものでない。

また、小学生から中学生まで時間の経過を省略して見せているが、その時に明広は野球をしていて、ばあちゃんが陰から応援しているところから始まり、あれって思ってしまう。

小学生の時、道具にお金がかかるから、剣道も柔道も習いにいくことを許さず、走るだけにしろと言っていたばあちゃんではないか。明広が野球を始めるまでに、大きな葛藤があっただろうと推測するが、ここは省略すべきではない。物語に一貫性がなくなってしまうからだ。後のスパイクを買う場面も活きてこなくなっている。

母に会えない寂しさを明広がいかに克服していったのか、そのくだりも足りない。

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2007/02/03

ワールド・トレード・センター

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:オリヴァー・ストーン

この世の中で起こることには、何がしかの意味があるのだろうか。例えば、この9・11同時多発テロ事件という未曾有の事態に対して、どんなメッセージを読み取ることができるのか。それぞれの立場から様々な論評が発せられている。

アフガンやイラクへの侵攻へと続くテロ戦争の起点と見る人々もいる。正義と悪という二元論で語れる排他的価値観の起点となったと見る人々もいるだろう。オリヴァー・ストーン監督は別の視点を我々に見せてくれる。

ここで、注目するのは、志願して災害地に向かっていく元海兵隊の男の存在だ。実在する人物のようであるが、湾岸警察官の救援活動を描く物語に直接必要な者ではない筈だ。だが、この男が結果的にキーパーソンになっていく。この展開が特徴的だ。

神の啓示を受けたという話は、別の見方をすればただの妄想であるかもしれない。だが、そのことで使命感を頂き、生命の救済に繋がっていくとき、シニカルな見方は影を潜め、深い感銘を受ける。我々も彼のように行動するときがあるのかもしれない。

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