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2006/11/15

マンダレイ

製作年:2005年
製作国:デンマーク/スウェーデン/オランダ/
     フランス/ドイツ/アメリカ
監 督:ラース・フォン・トリアー

グレース(ブライス・ダラス・ハワード)の誤算は何か。彼女がマンダレイの黒人たちに行おうとしてきたことは決して間違いではない。正論である。理想である。善意に溢れたものである。それを絶対的なものとして、一方的に武力を使って押し付けたこと。

相手の表面だけを見て、相手の裏側にある本音を知ろうとしなかったこと。それが間違いであった。グレースは自由を尊ぶ指導者になろうとするが、自由よりも安定を選ぶ者がいると気付かなかった。

この彼女の姿を見れば、アメリカの象徴であるとも感じられるが、それは短絡的ではないか。アメリカという国は、民主主義を掲げながら、その裏側で自国の権益を増やそうとしていることが根底にある。本音と建前の乖離が際立っている国なのだ。

少なくとも、グレースはこの行為によって何の利益も得ていないのである。逆にいえば、それも失敗の一因であったかもしれない。

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コメント

いつもお世話になっています。

実はブラウザをファイヤーフォックスにすると
こちらの記事が読めず、
インターネットエクスプローラーだと、
書き込みが文字化けしてまして、
これまでご挨拶が遅れました。
今回、サファリでやっとたどり着けました。

とても素敵なタイトルですね。
沢木耕太郎原作のTVシリーズは
とても心揺さぶられました。

これからもよろしくお願いします。

投稿: えい | 2006/11/15 08:40

同感です。
グレースの行為は時期早尚だったのでしょう。
人間にとって最も重要なのは「自由」なのに、
それに気がつかない人たちがまだまだ多い、という皮肉たっぷりな作品に魅了されました。

投稿: マダムクニコ | 2006/11/17 11:44

TBありがとう。
本当に、「かわいそうなグレース」なんですが、自業自得なんですね。
結局は、余計なお世話になってしまう。
ローレンバコール扮するマダムには、最終的な覚悟でも遠い存在なんですね。

投稿: kimion20002000 | 2006/11/17 20:29

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