« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006年6月

2006/06/30

息子のまなざし

製作年:2002年
製作国:ベルギー/フランス
監 督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ

理不尽な出来事に遭遇すると、なぜそんなことが起きたのか、その理由が知りたくなる。それを知ったからといって、理不尽な出来事が消えてなくなることはない。

それを聞いたからといって、理不尽な出来事を忘れることができるわけでもない。それでも知りたいと求めてしまうのは、心の整理が付かないからであろう。

どこかで納得し、決着をつけないと、理不尽な出来事は記憶の奥の扉に仕舞い込めないのだ。オリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)が自分の木工教室にフランシス(モルガン・マリンヌ)を招き入れた心情はそれではないだろうか。

本作品は状況説明が全くなく、どんどん物語が進んでいく。事前にどんな話かも知らないで見始めた自分には、固唾を飲んで見つめるばかりだ。とにかく全編みなぎる緊迫感が凄まじい。このタイトルから、別の話を予想していたが大きく外れてしまった。

ラスト・シーンも印象深い。唐突にここで終ってしまうのかという意外性がある。そして、それは希望を抱かせるもので、安らぎに満ちた余韻に浸る。

| | コメント (1) | トラックバック (4)

2006/06/28

風の前奏曲

製作年:2004年
製作国:タイ
監 督:イッティスーントーン・ウィチャイラック

ファースト・シーンとラスト・シーンに登場する蝶。ソーンに音楽の才能を届ける神の使いであったのだろうか。とても象徴的に使われている。こうしたところに詩的イメージが広がる。

伝統音楽を規制し、近代化を進めようとするウィラ大佐(ポンパット・ワチラバンジョン)。クライマックスでソーン師(アドゥン・ドゥンヤラット)がラナートを弾くのは、反発心からではなく、この大佐のためであろう。

ここで効いてくるのは、息子がピアノを購入したとき、ソーン師は排他的態度をとることなく、見事にラナートとピアノで合奏した場面である。

二者択一的に価値観を決めることの愚かさ。伝統を葬り去ろうとすることは決して近代化には繋がらない。そのことを訴えたかったのである。

その真摯な想いは大佐だけでなく、観る者すべてに伝わっていく。

初めて聴くラナートの雅的な音色に魅了される。こうして未知の世界に触れるとき、映画というメディアの素晴らしさを改めて感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2006/06/27

プロデューサーズ

「プロデューサーズ」★★★
(盛岡フォーラム1)2005年アメリカ
監督:スーザン・ストローマン
脚本:メル・ブルックス トーマス・ミーハン
出演:ネイサン・レイン マシュー・ブロデリック
    ユマ・サーマン ウィル・フェレル

詳しくはこちらで・・・
プロデューサーズ@映画生活

所詮、虚構の世界と分っていても、その中に人生の真理があるから、人は映画や芝居に魅了されてしまうのだろう。

嘘で固められたようなマックス(ネイサン・レイン)の言葉に、レオ(マシュー・ブロデリック)や老婦人の出資者たちが乗ってしまうのも、嘘とは分っていてもなお自分の信じていたい夢の一部を刺激するからだと思う。

本作品の面白さは、最低に最低を掛け合わせていくと逆に最高になってしまうところであろう。反対に言えば、最高に最高のものを掛けていっても、最低のものしか出来上がらないかもしれないということだ。プロデューサーの妙味は、それらをいかに掛け合わせるか決められるところにある。

メル・ブルックス監督のオリジナル版(1968)を既に見ているので、ドラマ展開に驚きは感じられない。鑑賞後に様々なレビューに目を通すと、舞台劇をそのまま映像化したことに賛否評論分れているようだ。楽曲の素晴らしさは認めるが、映画としての深みのなさがマイナスとなっている。

| | コメント (0) | トラックバック (9)

2006/06/26

タイフーン

製作年:2005年
製作国:韓国
監 督:クァク・キョンテク

ラスト・シーンに一番幸せだった頃の場面を持ってきている。何かに似ているなぁと考えていたら、「力道山」(2004)がそうだったと思い出す。韓国映画のひとつの作法になっているのだろうか。より深く余韻を残すことになる。

なぜ、セジョン(イ・ジョンジェ)はシン(チャン・ドンゴン)を撃つことができなかったのだろうか。あそこで、仕留めていればすべて片がついたはずである。そのためらいが本作品のポイントだった。

本来であればもっと後半にあってしかるべきである姉妹の再会を中盤にもってきているのは、このためであろう。セジョンの心の動きが観る者の共感となっている。

しかし、沖縄に核兵器が配備されるという冒頭の設定には唖然としてしまう。特に詳しく触れられていない分、韓国ではそれが当たり前として認知されているのでは感じさせる。こうしたところが重要ではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2006/06/24

ファイヤーウォール

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:リチャード・ロンクレイン

個人情報がいかに暴かれていくのか。タイトル・クレジットで映されるモノクロ映像が生々しく迫る。確固たる悪意の前にプライバシーの防御策など、いかに脆いものであるか考えさせられる。

知的サスペンスを期待したのにアクション映画になってしまったことでは不満を問わない。クライマックスの殴り合いはスピーディーなカット割りで迫力溢れる映像になっていた。それはいい。

問題は、その後の展開を予感させるネタ振りが未消化のまま放置されてしまったことだ。

例えば、ベス(ヴァージニア・マドセン)が仲間割れを誘うような言動を繰り返し、そのことで気弱な犯人の一人が迷いを生じているところまで見せていた。それなのに、クライマックスで全く繋がってこないのだ。

もう一つ、攻守逆転されたビル(ポール・ベタニー)がどう反撃するのか固唾を飲んで見つめていたが、ひたすら湖畔の小屋へ向かうだけなのだ。パニックとなり正常な判断力を失ったということも現実にはあるだろうが、それでは娯楽作としての興趣に欠けてしまうだろう。

ゲイリー(ロバート・パトリック)との確執を終盤でもっと活かしきれなかったのも惜しまれる。こういう中途半端な扱いなら最初から削ってしまい、1時間30分くらいにまとめれば快作になったであろう。

ポール・ベタニーはなかなかの存在感を見せていた。微細な表情の動きが、さりげなく観る者の心を捉える。照明の当て方も陰影深くなっており実にクールであった。

| | コメント (2) | トラックバック (9)

2006/06/23

クラッシュ

製作年:2004年
製作国:アメリカ
監 督:ポール・ハギス

自動車事故で始まり、自動車事故で終っていく。この構成が象徴するように徹底して自動車に関わるエピソードが続く。さらに鍵を直す、直さないというような建物に関する挿話も多い。

内と外の世界を隔てる障壁として自動車や建物が巧みに使用されている。本来なら無関係の他者同士が事故や犯罪によって繋がっていく。都市生活の断面が克明に描かれている。

マット・ディロンとライアン・フィリップの警官コンビが、非常に明確な形で本作品のテーマを浮かび上がらせている。人間は簡単に善と悪とへ分けることなどできないのだ。

様々な局面で、勇敢な行為もすれば、卑劣な行動に走るかもしれない。それが一生を決めてしまうような事態にいつ遭遇するか分らないのだ。

正しいかどうかさえ思考する時間もなく、瞬時に判断が迫られる、そこでどういう行為を選択できるのか。その直感が問われている。昨日、今日できたとしても明日できるかどうか誰にも分らない。

そういう不確定な人の行動を人種や見た目で判断してしまうことの愚かさ。

非常に個性あふれる俳優たちのアンサンブルが見事だ。彼らの卓越した演技が、真実の感情を呼び起してくれる。

| | コメント (0) | トラックバック (19)

2006/06/21

逆境ナイン

製作年:2005年
製作国:日本
監 督:羽住英一郎

不屈(玉山鉄二)がピンチに陥ったときに「逆境だ」と笑顔を浮かべる。この逆想が刺激的だ。苦境に涙を浮かべ愚痴を言うのは容易い。逆に喜べるくらいになると人生に余裕をもたらす。

例えそれが乗り越えらなかったとしても別に構わないではないか。戦おうとする気概が何より大切である。

本作品が面白いのは「仮面ライダー」などの戦闘ヒーロー物のパロディとなっているからである。そういう意味で校長先生役に藤岡弘がキャスティングされているのはあまりにも絶妙な配役であった。独特の台詞回しや人物造形などで大いに笑える。

そもそも、この種の映画にリアリティを期待するのは野暮というものである。それを分っていても、クライマックスの決勝戦の展開はあまり非現実的で白けてしまった。

112対0という絶望的な局面をいかに打破するか、もうひと捻り欲しい。不屈の超人性を見せるにしても、あれでは都合よすぎる。

| | コメント (1) | トラックバック (12)

2006/06/20

鉄人28号

製作年:2004年
製作国:日本
監 督:冨樫森

自分を信じて進め。父が息子に残した言葉がそのまま本作品のテーマになるのであろう。中盤で、正太郎(池松壮亮)が鉄人の前で呟く「僕にできるのであろうか」という不安の言葉。突然の大任に戸惑い迷うのは仕方のないところである。

だが、物事はやりつづけることによって、完璧ではないかもしれないが、いつしかできるようになるものなのだ。そのことを信じられるかどうかも自分の実力。

原作に特別の思い入れもなく、元々のファンが抱くようなノスタルジーもない。2005年に公開された新作映画として見た場合、あまりにもドラマ展開が乱暴であると感じる。

幼少の者が巨大ロボットを操作するということ。その必然性がドラマのリアリティを生む筈だ。本作品ではあまりに根拠薄弱だ。

ロボットアニメとして後に続く「機動戦士ガンダム」や「新世紀エヴァンゲリオン」などではその辺がしっかりしているため、余計に弱く感じる。

そして、父を亡くした正太郎と息子を亡くした宅見零児(香川照之)との闘いにも、もう少し意味あるものにできなかったのか。擬似親子として反発し、それが正太郎に成長に繋がるというドラマを予感させたが、全く外れてしまった。

そもそも宅見の犯行の意図が不明瞭。現在の社会を抹殺し、何を築こうとしていたのか全く分らない。

田中麗奈や妻夫木聡が1シーンだけゲスト出演しているのには驚いた。

| | コメント (2) | トラックバック (6)

2006/06/17

東京ゾンビ

製作年:2005年
製作国:日本
監 督:佐藤佐吉

無責任と無関心。忍耐力の欠如。即物的な欲望。現代の日本社会の精神的背景が色濃く本作品には反映されている。その象徴が“黒富士”であろう。

ゾンビ襲来というのはひとつの状況であり、そこから浮かび上がってくるのは、寒々しい心の暗部ばかりだ。ホラーやコメディーの形を借りて、今の日本を映し出している作品。こうした所は本家ゾンビのジョージ・A・ロメロ監督に通じるものだと感じる。

柔術については的確なアドバイスと動きを見せるミツオ(哀川翔)。これだけ見ればかなりの人格者であると思わせるが、その他の生活面では著しく適応できていない。

本社社員にいじめられても無抵抗のままだし、癌についての見解も強烈な思い込みからであった。この対比がおかしい。

本作品はなんといっても、浅野忠信と哀川翔の圧倒的な存在感がポイントだ。二人の会話の軽妙なやり取りやリアクションがおかしいので、ずっと聞いていたくなる。二人の佇まいは本当に絵となる。

| | コメント (0) | トラックバック (8)

2006/06/16

木浦(モッポ)は港だ

製作年:2004年
製作国:韓国
監 督:キム・ジフン

自分の望む生活スタイルと自分本来の能力とがうまく噛み合えば、満足すべき生涯を送ることができる。だが、往々にしてそのバランスがとれていない事の方が多いものだ。本作品ではそのことが極端な形で強調されている。

主人公のスチョル刑事(チョ・ジェヒョン)は秀逸な頭脳を持ちながら、犯罪捜査の現場で犯人逮捕を試みて大失敗してしまう。それでもめげず、潜入捜査を志願していく。

自分の能力を知ることが、妥当な挑戦と無謀な挑戦を分けることになる。

本作品でもっとも不満なところは、危機に陥ったとき、その脱出のディティールを省き、次の場面へ簡単に移行してしまうところだ。そんなことが続くと、物語のリアリティを著しく損なうことになってしまうのだ。

その最たるところは、自身も指名手配となってしまい、窮地に陥った兄貴分をいかにして救うかというクライマックスだ。あれでは基本的な問題解決にはならないと思うが、アクション場面でごまかし、いつの間にか大団円になってしまっている。これでは納得がいかない。

主人公チョ・ジェヒョンって、どこかで見た顔だと思っていたが、なんとキム・ギドク監督の「悪い男」のヤクザだったのか。鑑賞後に様々なレビューを読んで初めて知りました。あまりにも違う役柄に驚嘆しました。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006/06/15

ある朝スウプは

製作年:2003年
製作国:日本
監 督:高橋泉

「だから、具体的に説明してよ」。新興宗教に惹かれていく理由、拒否する理由を互いに問い質す場面が印象深い。明確に言葉で説明しようとも、すぐに答えが詰まってしまうのだ。

つまり、“好き嫌い”の感情なのだ。それを言葉にして相手に伝えようとしても、相手が同じ感情を抱いていなければ、困難なのである。新興宗教という特殊な問題提起で際立つが、これは普遍性のある問題だと感じる。

そういう意味で幕切れの台詞、「他人なんだね」の言葉が深く心に響く。

ヘッドフォーン式携帯音楽プレーヤーをつけて、空や風景を眺める志津(並木愛枝)の姿が何度も挿入されている。パニック障害の北川(廣末哲万)と違い、巧く社会に適応しているようであるが、彼女も心の中でどこか欠落しているところがあるのであろう。

似たところのある二人であるが、それでも決定的に乗り越えられない溝ができてしまった。その無念さがある。どんなに愛するものであっても真から分かり合おうとすることは、所詮不毛なことなのであろうか。

それを、追い求めるから互いに傷つくことになる。自分の孤独をしっかり抱え、他者への共感を求め過ぎないこと。寂しいが、その諦観も必要なのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006/06/14

復讐者に憐れみを

D0043912_18405231

製作年:2002年
製作国:韓国
監 督:パク・チャヌク

パク・チャヌク監督の復讐3部作、本作品と「オールド・ボーイ」(2003)、「親切なクムジャさん」(2005)に共通しているのは、シリアスで残虐な場面であっても登場人物たちの調子の外れた動きに思わず笑いを生じるところである。ブラックユーモアの本質が遺憾なく発揮されている。

最初は登場人物たちの関係が理解できず、ドラマについていくのがやっとであった。それを乗り越えると一気に惹きつけられてしまった。

復讐が復讐を生む終わりなき連鎖。ひとつの愛がひとつの死を呼び起す不毛性。もう二度と元には戻れない罪の行為。重苦しい余韻が鑑賞後に残り続ける。

「ほえる犬は噛まない」(2000)や「リンダ リンダ リンダ」(2005)などでコミカルな演技が印象深いペ・ドゥナ。本作品ではそのイメージを覆す役柄で驚いた。こういう顔ももっているのだと感慨深く感じさせる。

| | コメント (0) | トラックバック (9)

2006/06/12

サウンド・オブ・サンダー

製作年:2004年
製作国:アメリカ/ドイツ
監 督:ピーター・ハイアムズ

どんなに立派なシステムであろうとも、それを運用する人員の意識が低ければ簡単に破綻してしまう。所詮、完璧なシステムというものは存在しないのだ。それを前提に物事を進めないと取り返しのつかないトラブルに見舞われる。

この「タイム・サファリ社」の恐竜狩りツアーは、あまりにも安全問題を軽視し、リスクマネージメントがなされていなかった。今回の事態は必然であろう。

正直に言って、なかなか辛い出来栄えで、指摘しようと思えばおかしなところがたくさん見つかってくる。製作中の金銭トラブルで満足に映画が仕上げられなかったこともあるだろう。

だが、SF映画として現在に警鐘を鳴らすというテーマ性は一貫している。それだけは認めたい。

ベン・キングズレーがいつもながらの得難い存在感を発揮している。クレームをつける顧客を流れるような弁舌と不思議な論理でごまかしてしまうところはちょっとした見せ場であった。

| | コメント (1) | トラックバック (7)

2006/06/11

ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ

製作年:2005年
製作国:アメリカ/イギリス
監 督:ニック・パーク/スティーヴ・ボックス

野菜を食べるうさぎの本能を変えようとする無謀な試み。野菜でなければ、何を食べさせようとするのか。肉食になればもっと恐ろしい事態も考えられるのに。

このシークエンスを現実的でないと切り捨てるのは簡単ではある。だが、このような偏った発想って意外と多いのではないか。ある一面だけをみた解決策は本質的な問題解決にはならず、一時的なごまかしでしかない。かえって問題が大きくなってしまう。気をつけたいものだ。

これだけ長時間のクレイ・アニメを作り上げた労苦は偲ばれる。そのことを充分に承知しているが、本作品を見たとき、驚きが感じられなかった。

様々に仕掛けられたパロディもクスクス笑わせてくれるのだが、大笑いするまでに至らない。脚本が平板なのであろうか。悪い意味でこちらの読みどおりのドラマ展開で、心からハラハラドキドキしなかったのが大きい。

グルミットは犬というよりも理想の妻を体現している。余計なことは話さず、てきぱきと家事をこなし、ウォレスの失敗をいつの間にかカバーしてくれる。現実にはこんな女性はそうそういないであろう。その夢の姿をグルミットに託して描いているのであろうか。

そんなグルミットが自分で育てている巨大野菜と過ごす場面が印象深い。自分の子供と一緒にいるような慈しみぶりである。ウォレスでは満たされないものをここで補完しているようであった。

| | コメント (1) | トラックバック (7)

2006/06/10

南極物語

製作年:2006年
製作国:アメリカ
監 督:フランク・マーシャル

犬たちを仲間と見るのか、代替のきく動物と見るのか。その意識の差である。

確かに気象条件も厳しかったであろうが、もし取り残されていたのが人間であっとすれば、もっと真摯に救出活動を行ったであろうし、仮に果たせなかったとしても、もっと厳粛な態度になったはずだ。

周囲は哀しいことではあるが仕方ないさ、という思いで満ちている。ジェリー(ポール・ウォーカー)一人だけが犬たちを仲間と思っていたのである。その苦さがひとつ。

その心の傷が癒えないジェリーは犬を育てた老人を訪ねる。その場面が印象深い。「いかに自分を納得させるのか」というアドバイスが胸に沁みた。

簡単に心の痛みを忘れてしまえとか、乗り越えろとか言うことが、そうできないから苦しみ続けるのだ。忘れようとするから、逆に忘れられなくなる。自分を納得するためには、必然的に行動を伴うことになる。

それがいかに辛い行為であろうと能動的に身体を動かすことで、いつしか傷を忘れ、傷を乗り越えていくことになるのかもしれない。

マクラーレン博士(ブルース・グリーンウッド)の行為が独善的であると批判するレビューを多く目にする。確かにそうであるが、ある時、博士は子供の絵を見てそのことに気付く。そこからが大切なのである。

博士はそれを起点としてある行動を起す。私はそのことに敬意を示したい。

| | コメント (0) | トラックバック (7)

2006/06/09

SPIRIT スピリット

製作年:2006年
製作国:香港/アメリカ
監 督:ロニー・ユー

年配者が若輩者へ語る言葉はすぐに理解されない。短い体験と限られた価値観の中では納得できないこともある。自ら人生経験を重ね、いつかそんな意味だったのかと気付く。そうなって初めてその言葉が身についていくのだろう。

だから、その時には理解されないと分っていても、若輩者へ言葉を贈ることは必要なのである。

なぜ武道を続けるのか。その問い掛けがいい。闘いの心を無くせば、強者に隷属するだけだ。常に何物にも属さない強い心を自分にも世界にもアピールすることの意義。

だが、憎しみによる殺し合いは自ら世界を滅ぼすことになる。

フォ・ユァンジア(ジェット・リー)の気付く復讐の不毛さは、まさに「ランド・オブ・プレンティ」(2004)や「ミュンヘン」(2005)に通じる世界の摂理である。

フォ・ユァンジアが再生を図る農村が美しく胸に焼き付く。理想郷のように調和のとれた世界。風を全身に受ける場面が印象深い。彼の心にはびこった汚濁が吹き飛ばされていく。

| | コメント (1) | トラックバック (13)

2006/06/07

電車男

製作年:2005年
製作国:日本
監 督:村上正典

物事を変えるには越えていかなければならない一線がある。越えてしまえば、なんでもないよう感じるかもしれない。

だが、その一線には、安易な侵入を拒む高い障壁が築かれているように見える。その壁を越えるべく挑戦を続ける勇気があるかどうか。物事の本質はここにあると思う。

この電車男(山田孝之)にはエルメス(中谷美紀)に電話をかけるかどうかが一線だった。掲示板仲間の励ましがあったにせよ、実際に電話したのは自分自身。

失敗するかもしれない。笑い者になるかもしれない。そんな恐怖心を乗り越えて、奇跡のドラマは始まっていく。

そういう必死になって頑張っている姿を目の当たりにしていると、見ている者にも不思議なエネルギーを与えてられていく。

掲示板の仲間たちにも影響を与えていくのは、この種のドラマの定石であるが、それでも大いに心揺さぶられていく。

エルメスとの会話の中で、最初はとても早口で「すいません、すいません」と繰り返していたが、最後にしっかりした口調で「ありがとう」という。ここにこの青年の成長を感じる。

自分に自信があるときには、「すいません」よりも「ありがとう」の言葉が自然に出てくるものなのだ。

本作品はリアリティを感じられるかどうかで評価が大きく分かれているようだが、私は思う、フィクションとしては良くできていたと。

| | コメント (0) | トラックバック (12)

2006/06/06

イーオン・フラックス

製作年:2005年
製作国:アメリカ
監 督:カリン・クサマ

ドラマの出発点が興味深い。ウィルスの発生というのは、狂牛病や鳥インフルエンザが起っている現代においても切実な問題である。鳥インフルエンザが制御不能になるかもしれないという報道を目にすると、ウィルス撃退ワクチンを握るものが権力者になるというのも決して絵空事でない。

どんなに厳しい取り締まりや監視活動を行い、危険分子を排除していっても、反権力を抑える術はない。たとえ調和のとれた格調高い世界であっても、自分で意志決定のできる自由がなければ決して住みやすいものではないからであろう。

そのような未来設定は面白いものがあるが、イーオン・フラックス(シャーリーズ・セロン)が活躍する闘いの展開がどうもありきたりだ。どこかで見たような既視感でいっぱいになる。

グッドチャイルド家って、ロスチャイルド家を暗示していることなのか。そういう名前にも意味を持たせているのかもしれないが、読み説けなかった。

| | コメント (1) | トラックバック (9)

2006/06/05

アワーミュージック

製作年:2004年
製作国:フランス
監 督:ジャン=リュック・ゴダール

ゴダールの新作をスクリーンで見るのは何年ぶりであろうか。少なくとも盛岡に来てからは初めてである。まず、そのことが嬉しかった。それがひとつ。

100%理解できるとは最初から思っていないが、やはり難解な作品であった。下手な解釈を書けば失笑されそうで控えるが、一体、この場面は何を意味しているのだろうか、それを考えながら見る楽しみに浸る。

答えが出る前にどんどん映画は進んでいってしまうのだが、それも自分の実力。ここで答えが見つからなくても、時間を置いてふとしたときに、あれって気付くことがあるかもしれない。そう期待したい。

そうしたこととは別にして、色彩、カット割り、音楽など、瞬間、瞬間を感覚で味わうこともできた。ゴダール特有の詩的な映像を大いに堪能する。

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2006/06/04

バス174

製作年:2002年
製作国:ブラジル
監 督:ジョゼ・パジーリャ

あまりにも過酷なブラジル社会の現実。ファースト・シーンから何度も繰り返し挿入される空撮シーンが印象深い。そこから聞こえてくる呟きがあまりに悲痛だ。大空から見れば同じ人間なのに、どうしてこんなに貧富の差が生まれてしまうのか。

映画が進んでいくうちに、なぜ、ストリート・チルドレンが生まれていくのか、明らかになっていく。こんな世界は間違っていることなど誰もが分っている筈なのに。

警察組織の未熟ぶりにも驚かされた。訓練もない、装備もない。これで犯罪捜査をしているとは。指示系統も混乱し、テレビ生中継が行われているために強攻手段をためらうことになってしまった。この弱気がますます事態を混乱させていく。

バスの乗客たちと犯人との奇妙な関係性も興味深かった。我々に見えている映像の裏側で、別の共感とドラマが進行している。時間が経つうちに一種の共犯関係へと変貌していくのだ。

| | コメント (1) | トラックバック (3)

2006/06/03

エミリー・ローズ

Emiri2

製作年:2005年
製作国:アメリカ
監 督:スコット・デリクソン

エミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)に起きたことは、悪魔憑きが原因だったのか、病気が原因だったのか。観客にどちらが正しいのか決めさせる余地を残している。その為、裁判ドラマであるにも関わらず、非常に曖昧で釈然としない気分のまま映画は終わっていく。ここで描かれているのは、何が正しいとするのか決めるのは個々の信念であるということだ。

だが、エリン弁護士(ローラ・リニー)の起った午前3時の怪異現象はどう捉えればいいのであろうか。映画的事実からすれば、エイミー、ムーア神父(トム・ウィルキンソン)、エリンと3人が同じ体験をしている。そこから闇の力は存在していることを暗示している。しかし、エイミー以外は悪魔に憑かれなかった。この差はなんなのか。この体験を通して、エリンは悪魔憑きの信憑性を確信していくことになるのだが。本作品にはたくさんの疑問が残されている。

この裁判を通して劇的に変化していくのはエリンである。出世のためこの仕事を引き受けたのに、彼女は共同経営のオファーを断り、これまでの生き方から決別する。彼女は何に気付いてしまったのか。これまで自分が行ってきた仕事への疑問。有罪を恐れず自ら証言台に立つことを望む神父。エミリー・ローズの選んだ道。一人でも人生を変えてしまったのなら、それだけでもこの裁判は価値があるのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (10)

2006/06/02

力道山

製作年:2004年
製作国:韓国/日本
監 督:ソン・ヘソン

なぜ、力道山(ソル・ギョング)は負けることができなかったのか。ここがポイントだ。彼には成功して心から笑いたいという願望があった。

だが、紛れもない日本の英雄となり、これ以上はないという成功を収めても、心休まる時は訪れなかった。彼は自分が笑うということよりも、他人から笑われたくないということの方が強かったのではないだろうか。

その強迫観念が乗り越えられず、恩人も家族も友人も遠ざけてしまうことになる。

もうひとつ、アメリカから帰国して綾(中谷美紀)と住んでいた家に入らなかったエピソードが強く心に焼き付く。この家は力道山の祖国・朝鮮の暗喩ではないだろうか。

終盤にもう一度、この家が登場して、彼は家に入れてもらえなかった。このエピソードに祖国を捨て、捨てられた者の哀しみが溢れている。

力道山と綾の記念写真の使い方も絶妙であった。この撮影したときのエピソードを最後に持ってきた構成も巧い。

それまで劇中にさりなげなく何度も登場してきたが、最後になってその重みが分り実に効果的であった。

| | コメント (0) | トラックバック (8)

2006/06/01

カナリア

製作年:2004年
製作国:日本
監 督:塩田明彦

捨てられた子供たち。「誰も知らない」(2004)、「疾走」(2005)と、近年、そんな子供たちを主人公とした映画が作られ続けている。映画は現実を反映しているからだろうが、悲痛な思いで一杯となる。

本作品で特徴的なのは、捨てられたのは子供たちだけでなく、伊沢(西島秀俊)や岩瀬道子(甲田益也子)など、親の世代もそうであるということである。迷走する親世代とは違い、捨てられた子供たちは力強く生きていく。

何度も挿入されている光一(石田法嗣)と由希(谷村美月)の疾走。そして、手をつなぎゆっくりと歩いていくラスト・シーン。この対比が絶妙である。

その疾走と合わせて光一のいらついた心の象徴となっているのがドライバーであろう。何度も先を研いでいるシーンが印象深い。そして、クライマックスでのドライバーの使い方にも注目。なかなかうまい。

教団の教義を表面的になぞっていただったのに、この旅を通して光一は宗教的信義を身につけていく。注目なのは中盤で彼らを助けるレズのカップル達。子供を置いて死出の旅に出ようとしている咲樹(りょう)。迷いの生じている彼女の肩に手を置く少年は、彼女に罪の許しを与えているようであった。

ここがクライマックスに繋がる伏線であったと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (8)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »