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2006年4月

2006/04/29

やさしくキスをして

製作年:2004年
製作国:イギリス/ベルギー/ドイツ/イタリア/スペイン
監 督:ケン・ローチ

生活環境の決定的な違い。その溝を巧く説明できず、カシム(アッタ・ヤクブ)はロシーン(エヴァ・バーシッスル)に「白人には理解できない」と断言してしまう場面が続く。二人が結婚を前提に巧く生活するためには、どちらかがそれまでの文化や宗教を捨てて、相手側のそれに合わせなければならないのだ。しかし、そのことは自分のアイデンティティを失うことでもある。カシムが優柔不断のように見えるが、その葛藤は至極当然である。

この映画のポイントは、妹タハラの存在であろう。伝統社会にいることを良しとする姉。留まりたいが居心地が悪いとも感じる兄。そんな兄弟と対比させ、全ての文化を融合し新たな道を模索する妹の存在が鮮やかに写る。冒頭のスピーチが印象深い。

ラスト・シーンも秀逸。今は良くても、将来二人の生活が幸福であるのか、その不安感は決して消えることはない。確かに困難な道になるだろう。辛い出来事もたくさん起ると思う。だが、何より大切なのは一緒にいたいと思う気持ち。それを強く感じさせる幕切れであった。

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2006/04/28

マラソン

製作年:2005年
製作国:韓国 
監 督:チョン・ユンチョル

20歳のユン・チョウォンは自閉症のため5歳児並みの知能しかない青年である。母キョンスクはそんな彼に人並みの生活を送らせたいと熱心に教育を続けていた。ある時、チョウォンにマラソンの才能があると気づき、それを伸ばそうと元有名ランナーのチョンウクにコーチを依頼するが…。

まず細部が丁寧に作られていることに感心する。ファースト・シーンから積み重ねられているエピソードが絶妙な伏線となって後半の展開に繋がっていく。そのことで物語が奥深くなっている。

チョウォン(チョ・スンウ)彼の手の動きにも注目したい。手のひらの触感で様々なことを認識しているようであった。マラソンの場面でも、練習の時は草木に触れることを楽しんでいたが、本番では歩道で応援する観客の手のひらに合わせていた。この繋がりが巧い。そして、マラソンを引き止めようとする母キョンスク(キム・ミスク)の手を振り解いて出発していくところも印象深い。

基本的なストーリーラインはほぼ予想どおりであるが、ドラマ展開に意外性がある。例えば、元有名マラソン選手であるチョンウク(イ・ギヨン)コーチとの関係。チョウォンとの付き合いの中でコーチの人生を再生させていくのかと予想させていて、途中で彼の存在は消えていく。また、家族の離散を予感させておいて、微妙な一線で踏みとどまる。そういうことが続くので、画面に惹き付けられるのだ。

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2006/04/27

ランド・オブ・プレンティ

製作年:2004年
製作国:アメリカ/ドイツ 
監 督:ヴィム・ヴェンダース

アメリカで生まれながら宣教師の父に同行しアフリカやイスラエルで育ったラナ。亡き母の手紙を伯父ポールに届けるために10年ぶりにアメリカへ帰国する。ロサンジェルスに着いた彼女は教会でボランティアをしながら伯父を捜し始める。その頃、ポールは街の監視活動をたった一人で続けていたが…。

「聞いてみたい。犠牲者の方々が本当に報復を望んでいるのか」という台詞にはっとなる。9.11事件という未曾有の事態。その後、我々の生きる世界は自爆テロという新たな戦争状態に突入した。その事態にアメリカは好戦的な態度で応じている。アメリカよ、それでいいのかとヴィム・ヴェンダース監督はやさしく問い掛ける。

遺体を届ける旅を通して様々な発見をしていくというと、「遥かなるクルディスタン」(1999)を思い出します。知っているつもりのこと、常識と思っていることは、あくまで知識でしかなく、実際の風景や人々を見て、真の姿を理解していく。自分の目で確かめることがいかに大切か実感します。

音楽と映像の絶妙なハーモニー。あふれ出る詩情。ヴィム・ヴェンダース監督の持つ特性が遺憾なく発揮されている。レナード・コーエンのタイトル曲が心に染み渡る。

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2006/04/24

疾走

製作年:2005年
製作国:日本
監 督:SABU

干拓地である地域を“沖”と呼び、もとから住居している地域は“浜”と称されている町が西日本にあった。“浜”の人々は“沖”を蔑み近寄ろうとはしなかった。“浜”で両親と優秀な兄とで暮らすシュウジは、幼い頃、“沖”のヤクザもの、鬼ケンとその愛人アカネに助けられたことがあったが…。

誰かを守ろうとする行動は、たとえ正しくない選択をしてしまったとしても、観る者に熱い感情を呼び起す。そんな少年の悲愴さは蜷川幸雄監督の「青の炎」(2003)を想起させる。

コメディー色を取り除いているが、状況がどんどん悪化していき、出口を探し求め走り続ける主人公シュウジ(福原秀次)の姿をみると、いかにもSABU監督らしいモチーフであると感じる。救いようのない話ではあるが、最後に希望を抱かせるため静かな余韻を残します。

神父の豊川悦司が語る宿命と運命の違いには感じ入った。人間は必ず死んでいく。これが宿命。死んでいくまで、いかに生きていくか。これが運命。宿命は変えることができないが、運命は変えることができるのだ。

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2006/04/21

ミュンヘン

製作年:2005年
製作国:アメリカ 
監 督:スティーヴン・スピルバーグ

1972年9月。ミュンヘン・オリンピック開催中、パレスチナのテロ集団“黒い九月”がイスラエルの選手村を襲撃。選手11名が殺害される。これを受けてイスラエル政府は報復を決意、諜報機関“モサド”よって暗殺チームが秘密裏に組織される。そのチームリーダーにアヴナーは抜擢されたのであるが…。

最も意外に感じたのは、暗殺チームがイスラエルから資金だけ提供され、情報も武器も作戦もすべて自己調達で任せられているということ。しかも、彼らはプロ中のプロという逸材ではなく、急場の寄せ集めのメンバーなのである。

そのため、手際の悪さが異常に目立つ。史実に基づいているということであるが、今まで観てきたスパイ・アクション映画では考えられないことだ。そんな状況下で、よくあれだけ暗殺が成功できたものだ。そのことに、まず感嘆する。

もっとも印象深い場面は、彼らがパレスチナのグループと一夜を共に過ごすところ。アヴナー(エリック・バナ)と向こうのリーダーとの会話で、どちらもお互いの正義と悲願のために戦っていることが分ってくる。そして、ラジオの選局でもめるところもユーモア溢れるものであるが、その決着の仕方が鮮やかである。どんな問題にも第3の道があることを示唆している。

アヴナーの夢の中で、オリンピック選手殺害の顛末が語れる構成になっている。不毛な暗殺の応酬が、彼らの死を悼むという心が見失われていく。彼らがこうした戦いを望んでいたのか改めて考えさせられる。こういう点でヴィム・ヴェンダース監督の「ランド・オブ・プレンティ」(2004)を想起する。

そして、「我々は高潔な民族ではなかったのか」という問い掛けが深く胸を打つ。

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2006/04/19

フライトプラン

製作年:2005年
製作国:アメリカ 
監 督:ロベルト・シュヴェンケ

直接粗筋には触れておりませんが、ネタバレを気になされる方は飛ばして下さい。

観る前には「フォーガットン」(2004)との相違点が気になっておりましたが、実際鑑賞してみるとアルフレッド・ヒッチコック監督の「バルカン超特急」(1938)を連想させる内容でありました。窓ガラスのいたずら書きがキーポイントになるのも似ています。

自分の娘は誘拐されたのか、それとも既に亡くなっており妄想の中で存在するものなのか。映画の興味はそこに収斂する。ここで効いているのが、ファースト・シーンでの無人の地下鉄に亡き夫と乗り込むシークエンスである。こうした幻想シーンがカイルの不安的な心理を象徴し、彼女の妄想である可能性の高さを示唆する。

それは伏線なのか、それとも観客をミスリードするものなのか。ミステリー的興趣は増してくる。その期待に対して解答が提示されるが、とても納得できるものではない。あまりにも不確定要素が大き過ぎる。ひとつ間違えば簡単に破綻してしまうものばかりだ。物語に無理があるので、釈然としない気分が残り続ける。

客室乗務員役のエリカ・クリステンセンの使い方も勿体ない。後半のドラマに絡んでこないなら、最初からいなくても良かった。

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2006/04/18

MY FATHER マイ・ファーザー

製作年:2003年
製作国:イタリア/ブラジル/ハンガリー
監 督:エジディオ・エローニコ

1985年6月。ブラジルのマナウスでヨゼフ・メンゲレのものとされる白骨死体が発見される。彼はヒトラー政権の下、アウシュヴィッツ収容所で残酷な人体実験を繰り返し戦犯となるが、南米を中心に長い逃亡生活を送っていた。それを見つめる息子へルマンは8年前に父と会ったことを思い出すが…。

「わしは人間を一人も殺したことがない」。父メンゲレ(チャールトン・ヘストン)はきっぱりと言い切る。アウシュヴィッツ強制収容所で数々の人体実験が行われた理由の一端がそこで分る。例えば、科学実験などで蛙や鼠を使ったとしても、一般的には虐殺とか非道の行為とは感じないし、それで非難を受けることはないであろう。

つまり、メンゲルはユダヤ人を全く人間扱いしておらず、実験動物とみなしているのだ。人種差別というレベルを超えている。それを信じて疑わない者に、何を説いても馬耳東風なのであろう。全く恐ろしいことだ。

そんな父と対峙する息子へルマン(トーマス・クレッチマン)であるが、うまくいかず父の前から逃げるように疾走する場面が2度もある。巨大な壁のような父に激しい情念をぶつけても、びくともせず反対にはねかえされてしまう。その無念の走りだろうか。

ヘルマンが生き残ったユダヤ人女性から凄まじい憎悪を浴びせ掛けられる。宿命とはいえ、あまりに過酷である。胸が張り裂けそうな感じを受ける。

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2006/04/17

ランド・オブ・ザ・デッド

製作年:2005年
製作国:アメリカ/カナダ/フランス
監 督:ジョージ・A・ロメロ

ある時、謎の原因で死者が甦り人間を襲う。わずかに生き残った人間は二つの川に挟まれた土地に要塞都市を築き生活していた。中心にそびえる高層ビルのフィドラーズ・グリーンでは上流階級が優雅な暮らしを続けている。彼らのために傭兵軍が組織され、外の世界から物資を調達してくる任務が遂行されていたが…。

本作品を旧ゾンビ3部作と比較して、苦言を呈している評価をいくつか目にしました。実はロメオ監督の作品を観るのはこれが初めての私には、この終末世界の創造に多大な衝撃を受けました。「ゾンビ」シリーズが何故、カルト的人気を博しているのか、その理由の一端を掴めました。当然ながら、旧シリーズにも鑑賞意欲が沸いてきました。

ゾンビが人間を襲うシーンには残酷性があるのは当たり前ですが、逆に人間がアンデッドを襲う場面にぞっとするような殺戮性を感じさせる。従来のゾンビが加害者、人間が被害者という一律的なイメージを壊し、両者は同等であるという感慨を抱かせる。

花火に目を奪われたり、眩い高層ビルを目指して移動続けるなど、光を求めるゾンビたちに哀愁を感じさせる。そんなゾンビたちと、都会を離れ北へ向かおうとする主人公ライリー(サイモン・ベイカー)の姿がリンクする。ここでも両者の同一性を思わずにいられません。

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2006/04/16

犬猫

製作年:2004年
製作国:日本
監 督:井口奈己

一緒に暮らしていた恋人・古田の家を突然飛び出したスズは、東京近郊の静かな街の一軒家に暮らすアベチャンを頼って訪ねる。ところが、アベチャンは明日から中国へ留学し、ヨーコが留守を預かることになっていた。ヨーコとスズは幼なじみ。あまり仲は良くなかったが、仕方なく一緒に暮らすことになるが…。

「むーちゃん、ごはんだよ」とスズ(藤田陽子)が猫に甘い声をかけても、猫は少しも餌のところに近付く様子は見せない。そういう描写が続く。この辺りにもスズとヨーコ(榎本加奈子)の微妙な関係が投影されていると感じる。

同じ花を同じ日に買ってしまう。同じ男の子を好きになる。同じ場所で道に迷う。スズとヨーコは、性格こそ正反対かもしれないが、同一性を感じさせるエピソードが続く。その極め付けが、頭に来るとやみくもも疾走するところだ。それまで固定したカメラを二人の動きをとらえていたので、より強く印象に残る。

それまでのタレント活動から言えばスズの方が似合いそうな榎本加奈子。そのイメージとかけ離れたキャラクターを絶妙に演じていて感心しました。

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2006/04/14

単騎、千里を走る。

製作年:2005年
製作国:中国/日本 
監 督:チャン・イーモウ/降旗康男(日本編)

単身で中国へ渡り息子の代わりに仮面劇を撮影する。本作品がユニークなのは、その行為自体、高田(高倉健)の大いなる勘違いではないかと観客に感じさせるところ。ありきたりな話であれば、その仮面劇が本当に貴重なもの、高田の行動が崇高なものとして終わっていくだろう。

だが、チャン・イーモウはそうしない。高田が中国で行ったことは意味のない行為であったかもしれない。重要なのはその行為が誰かを思いやることから生まれ、誰かを喜ばせたいとか、謝りたいという気持ちそのものを表していることだ。その思いの強さが、様々な障害に諦めず、粘り強く行動していくことに繋がっていく。

そして、そのことから思いもかけないドラマがいくつも生まれていくのだ。その最たるものが、リー・ジャーミン(同名)とヤンヤン(ヤン・ジェンボー)の親子の関係と高田のそれが交差してところ。高田とヤンヤンが道に迷い一夜を共に過ごす場面が印象深い。ヤンヤンを追いかけることは自分の息子を追いかけることでもあったのだ。その夜の時間が高田とヤンヤンの絆を強めていく展開も秀逸なものだった。

もう一つ印象深いのは、高倉健はこれまで演じてきたキャラクターの投影する主人公となっている一方、中国側では「あの子を探して」(1999)のように素人ばかりを使って撮影が進められているところだ。それが水と油のように合わないのではなく、高倉健の世界とチャン・イーモウの世界が違和感なく存在している。それが素晴らしい。不思議と調和した世界になっている。

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2006/04/13

オリバー・ツイスト

製作年:2005年
製作国:イギリス/チェコ/フランス/イタリア
監 督:ロマン・ポランスキー

19世紀のイギリス。孤児のオリバー・ツイストは9歳になり、救貧院へ連れて来られる。そこでは粗末な食事のため誰もが空腹に悩まされていた。くじで負けたオリバーは皆を代表しておかわりを求めるが、委員の怒りを買い追放処分になる。その後、葬儀屋の主人に引き取られるが、ここでも理不尽ないじめにあうのであった…。

オリバーは状況が悪化すると、いつも泣きべそをかいている。自分の力ではどうにもならないことを知っているのか。しかし、何故か周囲の人々から救いの手が差し伸べられる。それが何度も繰り返されるのだ。ここにこの少年の特異性が感じられる。つまり、彼は人々に無垢なる心を呼び起す触媒のような存在であったのではないだろうか。

だが、そんな彼もここぞというときには決然と行動する。葬儀屋で兄弟子から亡き母親の悪口を言われると、猛然と食ってかかる。その激しさには目を見張る。そして、そこを飛び出して、ロンドンに向かっていくのだ。オリバーはただの泣き虫ではなく、運命に対して戦いをのぞむ気骨があることを感じさせる。

オープニング・タイトルがクラシカルな雰囲気をかもし出し、なかなか良かった。版画のような絵から実景にかわっていくファースト・シーンも鮮やかなものだった。

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2006/04/11

さよなら子供たち

「さよなら子供たち」★★★★
(BS)1987年フランス 西ドイツ 
監督:ルイ・マル
出演:ガスパール・マネス ラファエル・フェジト
   フランシーヌ・ラセット
   スタニスタス・カレ・ド・マルベール

1944年ナチス占領時代のフランス。戦災のパリからカトリック寄宿学校に疎開している12歳の少年カンタン。ある時、ボネという少年が転入してくる。初めはどこか打ち解けない2人だったが、次第に連帯感が生まれてくる。だが、ボネは偽名を使って転入してきたユダヤ人であることを知ってしまう…。

第44回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。第13回セザール賞で作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、音響賞、編集賞、美術賞の6部門を受賞。

パリを離れる汽車の前、母の前で俯くカンタン。このファースト・シーンで、自分で状況をコントロールできない少年の無念な気持ちがよく伝わってくる。そのことで素直さを欠き、どこかひねくれた態度を取る。

そんな時、彼の前に現れたボネ。勉学にも音楽にも優秀なボネに最初は辛く当たるが、彼がユダヤ人と知って少しずつ変わっていく。ボネは自分以上に喪失したものがあることに気付いていくのだ。両親に会えない寂しさより辛い現実があることを知る。

淡々とカンタンの日常が綴られている。感傷にひたることなく、ひとつひとつのエピソードが進められていく。ラスト・シーンの「さよなら子供たち、また会おう」というゲシュタポに逮捕された校長先生の言葉。もう二度と会う事のない先生と生徒たち。劇的な場面にしていないため、この別れの言葉が余計に重く響く。

ピアノ教師役の女性はどこかで見たことがあると思っていたら、イレーヌ・ジャコブだったのか。この映画が彼女のデビュー作であった。これをクシシュトフ・キエシロフスキー監督が見て、「ふたりのベロニカ」(1991)や「トリコロール/赤の愛」(1994)に繋がっていくと思うと感慨深い。

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2006/04/09

理想の女(ひと)

製作年:2004年
製作国:イギリス/スペイン/イタリア/アメリカ/ルクセンブルグ 
監 督:マイク・バーカー

ニューヨーク社交界の華である若いメグとロバートのウィンダミア夫妻は南イタリアの避暑地アマルフィへバカンスに訪れた。ある時、妻の誕生日プレゼントに悩むロバートは魅惑的なアメリカ人女性アーリンと出会う。彼女の助言で金の扇を購入し、これをきっかけに2人は親密になっていくのだが…。

上記の粗筋を読めば、典型的な不倫ドラマを想像させるが、実際は全く違うテイストの物語だ。ここで思い出すのは同じオスカー・ワイルド原作の映画「理想の結婚」(1999)である。幸せな夫妻がある女性の出現で、二人の間に秘密が生じ関係を悪化させていく。浮気と思わせておいて実は・・・、と思わせるドラマを用意しているところが非常に似ている。どこか清々しい気分で終わっていくところもそっくりだ。

映画の原題である“グッド・ウーマン=善良な女性”とは何か。メグ(スカーレット・ヨハンソン)とアーリン夫人(ヘレン・ハント)の二人の対照的な女性を通して観客に問い掛けてくる。そんな簡単に善良な女と性悪な女は分けられるものではない。彼女たちが交錯する時、善悪の境目が曖昧になっていく。メグは落ちていこうとするし、アーリン夫人はそれを守ろうとする。その葛藤に惹き付けられ、金の扇が効果的に使われていることに感心する。

豊富な恋愛遍歴を重ねてきたアーリン夫人役のヘレン・ハントに賛否両論あるようだが、私は支持したい。実年齢以上に老けて見せていると思う。その老いを滲ませていることで、彼女の変節が理解され、後半のドラマに説得力を加えていると思う。

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2006/04/08

博士の愛した数式

製作年:2005年
製作国:日本 
監 督:小泉堯史

家政婦をする杏子が新たに派遣されたのは、交通事故に遭って以来、80分しか記憶が持たない天才数学博士の家だった。博士は記憶を補うために着ている背広にいくつものメモを貼り付けていた。最初は意志の疎通がうまく図れず苦労する杏子。しかし、次第に博士の語る数や数式の美しさに魅了されていくのだが…。

先に原作を読んでおりました。これは絶妙だと感じたのは、原作では母親の視点から物語が綴れていたのに対し、映画では中学の数学教師となったルート(吉岡秀隆)が教室で生徒に博士との過去を話す設定に置き換えられていること。

そのことで、「虚数」や「友愛数」などあまりなじみない数学用語が自然に説明され、100%ではないにしろ観客の理解力が高められた。吉岡秀隆の先生ぶりも自然で良かった。

そして、原作にはなかった能の意趣が博士と義姉の関係を象徴するものとして見事に使われていた。この小泉監督の脚色がなんと言っても素晴らしい。

俳優陣もみな個性豊かに存在感を発揮していた。朴訥とした人柄の温かさと思い込みの強さや頑固なところをユーモラスに見せた博士役の寺尾聰。溌剌と自転車を走らせ前向きな力強さを感じさせる杏子を爽やかに演じた深津絵里。楽しそうな博士と杏子とルートの団らんを母屋からそっとのぞき見る深い哀しみと嫉妬心を凛とした佇まいで見せる義姉役の浅丘ルリ子。それぞれ心に深く焼き付く。

そんな彼らが美しい風景を眺める場面が何度も挿入されています。それぞれ哀しさや苦しみを孤独に耐え忍び、風景を通して静寂な自己の心の世界を見つめていると感じさせます。

彼らは日常を重ねるごとに擬似家族として絆が深まっていき、それぞれの喪失感を乗り越えていく。ラスト・シーンの海辺のキャッチボールが鮮明に映るのは、彼らのあふれ出る喜びがこちらにも伝わってくるからであろう。

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2006/04/07

恋の風景

製作年:2003年
製作国:香港/日本/中国/フランス 
監 督:キャロル・ライ

香港でマンと恋人サムは幸せな日々を過ごしていた。だが、サムは不治の病気で亡くなってしまう。マンはサムが死を前に描き遺した絵の風景を求めて、彼の故郷である青島へとやってくる。彼女は郵便配達をしながら絵本作家を目指している青年シャオリエに出会う。シャオリエはマンの風景探しを手伝うが…。

この映画を観ていて、岩井俊二監督の「Love Letter」(1995)を思い出しました。最愛の恋人を亡くし、彼の残した不思議な謎を追いかけていく女性。それを助ける男性の存在。いかにして彼の死を受け入れていくか。プロットに共通するところが多い。

真冬の青島の風景描写が素晴らしい。マン(カリーナ・ラム)の閉ざされた心象を表現しているようだ。亡き恋人サム(イーキン・チェン)が遺した絵の風景を探して、マンとシャオリエ(リィウ・イエ)は街じゅうを歩き回る。その街並みは透徹した美しさに溢れ、心に深く焼き付く。

マンが動物園と梨畑で見る幼い子供はサムであろうか。子供が走っていく先にシャオリエがいるのがポイントだ。サムはマンの中にいる自分の記憶を少しずつ消していき、新しい恋へと導いていく。

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2006/04/04

ふたりの5つの分かれ路

製作年:2004年
製作国:フランス 
監 督:フランソワ・オゾン

淡々と事務的に離婚の手続きを終えたマリオンとジルはホテルへと向かい、何年かぶりに互いの素肌に触れたのだった。しかし、ふたりの間にはもう元には戻れない隔たりがあった。結論は変わらないと悟り、マリオンは部屋を後にする。そして時間は遡り、ふたりの思い出の時がひとつ一つ甦っていくのだが…。

ラスト・シーンが哀しい。別れから出会いへ時間軸を逆にした構成は、このためにあるのではないかと感じさせる。海の中、朝日に向かって泳いでいく二人。普通であれば、希望あふれる一場面になるのであるが、これが二人の恋の始まりでもあるし、別離の始まりでもある。そう思うと哀切感で一杯になる。

同じようなシーンがもう一つある。結婚式のパーティーで踊る二人であるが、賑やかなバンド演奏から一転。哀しみに満ちた音楽に切り替わっていくのだ。二人の幸福感がピークに達した。だが、そこから後は下降線をたどっていくことになるのだ。皮肉な視線を感じる。

二人が別れていく決定的な原因を描いたエピソードはない。それが本作品のポイントだ。浮気も出産に立ち会わなかったことも、別れの原因の一つであるだろうが、どうもそれだけではないようだ。そのことで劇的な展開はなくなったが、エピソードの合間のドラマを観客に想像させ、味わい深い映画に仕上がっている。

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2006/04/02

プライドと偏見

Puraidohen

製作年:2005年
製作国:イギリス 
監 督:ジョー・ライト

18世紀末のイギリス。田舎町に暮らすベネット家の子どもは5人姉妹。女性に相続権がなく、父親の財産は遠縁の男子が継いでしまう。母親はなんとか娘たちを資産家と結婚させようと躍起になっていた。ある時、独身の大富豪ピングリーが隣に引っ越してくる。長女ジェーンとビングリーは互いに惹かれ合うが…。

最初とクライマックスで朝日が効果的に使用されている。なかなか辛いエピソードも含まれた物語であるが、全体的に明るい印象をもつのは、この朝日に象徴される輝かしい希望で映画は包まれているからであろう。

冒頭で本を読みながら散策するエリザベス(キーラ・ナイトレイ)が印象深い。この時代の型破りな価値を抱く彼女は、室内でなく屋外で本に触れ、知識ではなく生きた知恵を吸収していたのだろう。憎々しいキャサリン夫人(ジュディ・デンチ)と対峙しても、一歩も引かない強さを見せる。

エリザベスとダーシー(マシュー・マクファディン)が踊っているときに、突然、回りの人々が消え去り、二人だけになる場面がある。この時、二人は恋に落ちていったのだろう。しかし、二人は自分の気持ちを気付く事ができない。ここでタイトルの“プライドと偏見”が効いてくる。その二つが邪魔をして二人とも素直になれないのだ。二人が真の気持ちに気付くまでしばらく時間がかかる。

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2006/04/01

タッチ・オブ・スパイス

製作年:2003年
製作国:ギリシャ 
監 督:タソス・ブルメティス

1959年、トルコのイスタンブール。ファニス少年はスパイス店を営む祖父ヴァシリスからスパイスの様々な効能と人生のすべてを学び、幸せな毎日を過ごしていた。しかし、トルコとギリシャの間で紛争が起り、ギリシャ系移民の一家はトルコ国籍を持つ祖父を残し、アテネへ強制退去となってしまうが…。

「美食家(ガストロノモス)の中には天文学者(アストロノモス)が潜む」。この意外な組み合わせがまず興味深い。「肉団子にクミンは当たり前だが、時にはシナモンを入れるような意外性も、人生の重要な時には必要なのだ」。この台詞も心に残る。少年ファニス(マルコス・オッセ)と同様に思慮深い祖父ヴァシリス(タソス・バンディス)に魅了される。

故郷コンスタンチノープルを追われ、大好きな祖父や初恋の少女サイメとも別れてしまう。哀しいエピソードが続くのであるが、不思議な明るさに満ちている。生きていれば必ず不条理と思えるようなことに遭遇する。辛い出来事があったとしても、スパイスの使い方ひとつで人生は豊かにも貧しくもなる。人生の極意はここにある。

ラスト・シーンが素晴らしい。スパイスと宇宙が渾然一体となって夢幻的な美しさに包まれる。戻るべきところに帰ってきたファニス(ジョージ・コラフェイス)の心を表現したようだ。余韻の残る一場面。

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