製作年:2003年

2008/06/23

みなさん、さようなら

製作年:2003年
製作国:カナダ/フランス
監 督:ドゥニ・アルカン

どれだけ出会いを大切にできるか。人の生涯の幸福度は、そのことに掛かっているのではないか。末期ガンに掛かったレミ(レミー・ジラール)が家族や友人に囲まれて、いかに最期の時を過ごすかという物語である。それにしては、意外に大きな役割を占めているのが、麻薬中毒者のナタリー(マリ=ジョゼ・クローズ)である。もし、レミの鎮痛剤としてヘロインをセバスチャン(ステファン・ルソー)が探していなければ、孤独のまま生涯の幕を落としていただろう。だが、彼女はこの父子と関わりあうことにより、人生の転機を掴むことができたのだ。一度は台無しにしてしまうような失敗もするが、そこから彼女は変わっていく。本作品の主題は彼女を通して表現されている。

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2007/05/21

ニワトリはハダシだ

製作年:2003年
製作国:日本
監 督:森崎東

どうして、この家族は別々に暮らさなければならなかったのか。サム(浜上竜也)の教育方針を巡る対立という表面的な理由も示されているが、それだけではないような気がする。

時に、意地を張らなくては生きていけないこともあるだろう。お互い惚れた者同士の想いは消えていないのに、我を捨てることができない。

警察汚職。在日朝鮮人。知的障害。様々な社会問題を含んだコメディであるが、こういう頑なな生き方を貫くところは良質なハードボイルド小説のようであった。

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2006/12/15

油断大敵

製作年:2003年
製作国:日本
監 督:成島出

本来なら、敵と味方。明確な境界線はあり、決して混じることがない筈なのに、何故か通じ合っていく心情。白か黒かで分けられないグレーゾーンを焦点にしたとき、映画は深い味わいを増していく。

関川刑事(役所広司)と泥棒の猫田(柄本明)の二人が醸し出すユーモアやペーソス。父との濃密な時間を求め、頑なに再婚を拒絶した娘が、ひとり旅立っていく寂寥感。泥棒稼業を選んでいく猫田の少年時代の悲痛。

日常の中で巻き起こる感情を巧みに掬い取っている。

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2006/11/21

リトル・イタリーの恋

製作年:2003年
製作国:オーストラリア/イギリス
監 督:ジャン・サルディ

コンプレックスの固まりのようであったアンジェロ(ジョヴァンニ・リビシ)は、常に自分のことばかりしか考えていなかった。だが、今回の結婚騒動で、弟ジーノ(アダム・ガルシア)、ロゼッタ(アメリア・ワーナー)、コニー(シルヴィア・ドゥ・サンティス)と周囲にも気を配れるようになる。

そのことで、自らの孤独を開放できるようになったのだ。自分を捨てることによって、豊かな何かを得ることができる。

こうして弟が兄を引っ張っていた関係が、はっきりと逆転してしまう。これが本作品のポイントだ。

ここで気になるのは、よそ者で喋ることができない絵描きの存在だ。カフェの壁に描いた絵がロゼッタの島と酷似していたこと。老人の願いで一度は描いた船を消してしまったこと。

ラスト・シーンで、カフェを覗くが、入らずに行ってしまうこと。彼はこのイタリア移民のコミュニティーに幸福を運ぶ天使のような存在ではないのか。

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2006/10/27

トンケの蒼い空

製作年:2003年
製作国:韓国
監 督:クァク・キョンテク

「友へ チング」(2001)のクァク・キョンテク監督と「MUSA 武士」(2001)のチョン・ウソンの組み合わせ。そこから呼び起される期待を大きく裏切る作品になっている。

ありきたりな父と息子の確執と和解のドラマになっていないのは、ひとえにトンケ(チョン・ウソン)のキャラクター造形にある。トンケ=野良犬という言葉のイメージかから浮かんでくる野性味よりも、いつも何かに怯えているような様子は捨て犬の方がぴったりくるのだ。

問題なのは、彼が軽い自閉症でないかと思われるのに、父親や周囲がそれに気付いていないことではないか。特徴的だったのは、父親がスリの常習犯で身寄りのない女性ジョンエ(オム・ジウォン)を家に引き取ってきたというのに、異性として意識するよりも、テレビが見られなくなることの方を気にしてしまうところだ。

単に自分の夢を持てず父親に反発して生きているのとは違うと感じる。

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2006/10/18

輝ける青春

製作年:2003年
製作国:イタリア
監 督:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ

何故、あの時出て行くのを止めることができなかったのか。何故、あの時電話を取らなかったのか。失ってしまった人の後で、何度も自問を繰り返す後悔。彼らの思いが切実に響いてくる。

マッテオ(アレッシオ・ボーニ)にとって人生を変えてしまったひとつの出会い。誰かを救おうとして救うことができなかった自分の非力。

頼りない自分を律するように軍隊や警察で勤務するが、自分の居場所を見つけることはできない。自己嫌悪の中、誰とも距離を置こうとして、そのことでさらに傷ついてしまう悪循環。

唐突に終止符を打ってしまった彼の人生であるが、決して無駄ではなかったのだ。彼の存在は新たな出会いや出発を呼び起す起点となっている。それに気付けなかった彼の不幸をじっと噛み締める。

6時間6分という上映時間、DVDも2枚に渡り、鑑賞前は覚悟がいる。だが、見始めれば、イタリアの奔放な歴史と魅力的な登場人物たちに呼び込まれ、あっという間であった。なんと芳醇な時間であっただろう。映画は時間で計れない。

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2006/10/09

アンダーワールド

製作年:2003年
製作国:アメリカ
監 督:レン・ワイズマン

「これは一体、誰の戦争なんだ」という一つの問い掛け。これが重く胸に響く。

吸血鬼一族と狼男一族の果てしない殲滅戦。彼らは、自らの一族の存亡を賭けて戦っていると答えるかもしれないし、大切な者を奪った誰かへの復讐のためにと答えるかもしれない。あるいは、その両方である場合もあるだろう。

だが、当事者には分らないであろうが、一歩引いて見てみれば、為政者の私怨や野望の道具であるだけかもしれないのだ。であるとするならば、なんと虚しいことであろう。

そのために、たくさんの悲劇が生まれ、掛け替えのない大切なものが失われてしまうのだ。戦争の実態がここにある。

セリーン(ケイト・ベッキンセイル)は上司クレイヴン(シェーン・ブローリー)の不信から独自の捜査を続けるが、その果てに待っていたのは驚愕の事実。自らのアイデンティティーを崩壊させてしまう。

帰るところをなくした彼女はどこへたどり着くのか。その答えを続編「アンダーワールド:エボリューション」(2006)でどのように描かれているのかが、次の焦点です。

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2006/08/06

ダブリン上等

製作年:2003年
製作国:アイルランド/イギリス
監 督:ジョン・クローリー

ジョン(キリアン・マーフィ)は自分から言い出してデイドラ(ケリー・マクドナルド)と別居してしまうが、彼女に新しい恋人ができたと知ると自分を見失うほど激怒する。なんと愚かなことをしてしているのか。

客観的に見れば、自業自得でしかないが、当人にとっては理不尽な出来事なのである。彼女の気持ちを試すという自分にとっては正しい論理かもしれないが、周囲には彼の起こした行動がすべてである。そのギャップがおかしく、興味深い。後になって自分の心情を述べたとしても、理解を得ることは難しい。

本作品の面白さは複雑に結びついていく人間関係と、そこから運命が狂わされていく事件の連続性にある。登場人物たちも個性あふれるものばかり。こんなチンピラ役が、アレキサンダーやジョン・スミスよりも、最もよく似合うコリン・ファレル。

しかし、ブラウンソースを入れた紅茶って、本当に美味しいのであろうか。一度、試してみたくなる。

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2006/08/04

カーサ・エスペランサ 赤ちゃんたちの家

製作年:2003年
製作国:アメリカ/メキシコ
監 督:ジョン・セイルズ

個性溢れる6人の女性たちの群像ドラマに限定しても、充分に面白いドラマへ仕上がったことであろう。だが、南米某国からも様々な登場人物が配されている。

しかし、彼らが6人の女性たちと僅かな接点があるだけで、綿密にドラマに絡んでくるわけでない。中途半端と言ってしまえばそれまでであるが、そこに製作者の隠された意図があるのではないか。

つまり、彼らの人生をコラージュして見せることにより、人の営みの悲喜交々を次々と浮かび上がらせる趣向だと感じる。

興味深いのは、アメリカ人が自国でなく他国に出掛けて養子を求めていることである。以前、何かの機会で韓国からの養子の受け入れ先の1位がアメリカであるとのことを知り、あれって思ったことがある。

人種の違いは気にならないのであろうかという疑問。「親子」という感覚に違いがあるのだろうか。

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2006/08/02

ビューティフル・ボーイ

製作年:2003年
製作国:タイ
監 督:エカチャイ・ウアクロンタム

自分が何になりたいのか、知ることが大切である。その言葉が深く心に残る。本作品は性同一障害という特殊な設定になっているが、そのメッセージは観る者すべてに届くものである。

試合に勝つことで、本来の自分をさらけ出せるようになっていく。一つの自信が排除される恐怖に打ち勝っていく。そして、女性的な美しさを追及する一方で、格闘技のセンスも抜群である点が興味深い。

才能の萌芽は一列ではないのだ。ムエタイの技の中に美しさを見出したとき、トゥム(アッサニー・スワン)は大きく飛躍する。

本作品の共感は、自分という者と共に家族を大切に思っていくことにある。ただ自分の思いを叶えるため闇雲に突き進んでいないところもいい。手術の承諾書に父親がサインする場面が重々しく胸を打つ。

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2006/06/15

ある朝スウプは

製作年:2003年
製作国:日本
監 督:高橋泉

「だから、具体的に説明してよ」。新興宗教に惹かれていく理由、拒否する理由を互いに問い質す場面が印象深い。明確に言葉で説明しようとも、すぐに答えが詰まってしまうのだ。

つまり、“好き嫌い”の感情なのだ。それを言葉にして相手に伝えようとしても、相手が同じ感情を抱いていなければ、困難なのである。新興宗教という特殊な問題提起で際立つが、これは普遍性のある問題だと感じる。

そういう意味で幕切れの台詞、「他人なんだね」の言葉が深く心に響く。

ヘッドフォーン式携帯音楽プレーヤーをつけて、空や風景を眺める志津(並木愛枝)の姿が何度も挿入されている。パニック障害の北川(廣末哲万)と違い、巧く社会に適応しているようであるが、彼女も心の中でどこか欠落しているところがあるのであろう。

似たところのある二人であるが、それでも決定的に乗り越えられない溝ができてしまった。その無念さがある。どんなに愛するものであっても真から分かり合おうとすることは、所詮不毛なことなのであろうか。

それを、追い求めるから互いに傷つくことになる。自分の孤独をしっかり抱え、他者への共感を求め過ぎないこと。寂しいが、その諦観も必要なのではないか。

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2006/05/08

クレールの刺繍

製作年:2003年
製作国:フランス 
監 督:エレオノール・フォーシェ

主人公クレール(ローラ・ネマルク)の人物造形が陰影深く作られている。家族との間に確執があると思われ、家を出て一人暮らしをしている。独立心が強いように見えるが、行動が子供じみていて心は未成熟のままである。そんな彼女が望まぬ妊娠をしてしまう。

親友には打ち明けているが、どう対処していいか一人で悩み苦しみ続ける。その中で、鏡を見つめる場面の繰り返しがポイントだ。彼女は厳しい現実と対峙して精神的成長を遂げていく。

そのクレールと息子を事故で亡くしたメリキアン夫人(アリアンヌ・アスカリッド)との心の交流がメイン・プロットである。彼女たちが親密になっていく過程でメリキアン夫人の自殺未遂を近所にばれないようにしていたという逸話がある。

最初の方で、クレールが妊娠をごまかすために、癌治療をしているとスーパーの従業員たちに嘘をつく場面があった。これだけ見ればなんと子供っぽいことをするなと感じさせるが、実は自殺未遂事件と結びついていたのだ。絶妙な伏線になっていることに気付き、大いに感嘆する。

もうひとつ印象深い場面は、クレールの部屋に突然、訪れた母親がクレールの体型を見ても妊娠と気が付かないところ。クレールのことを心配する気持ちがあっても、彼女の真の姿を見ることができないでいる。クレールと母親の心の距離を感じる。

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2006/05/06

村の写真集

製作年:2003年
製作国:日本 
監 督:三原光尋

いまどき珍しいと思えるような口より手が早い頑固一徹の父親。言葉で説明するコミュニケーション能力が著しく欠けている。自分の真意を巧く伝えられない苛立ちが暴力となって現れているのであろう。その横暴な態度に目を奪われ、長い間、息子は父親の真の姿に気付くことができなかった。教えられない方も分らないでいる方も、両者正しく、そして、間違っている。

「能率ってなんだ」という問い掛け。一軒、一軒歩いて訪ね回る父に息子は意見するが、こう返される。すると、息子は絶句して答えられない。ここがポイントだ。我々は能率が良いということは、無意識の内にも素晴らしいと感じる。便利になる。無駄がなくなる。たくさんの仕事が出来る。

それを追求していけば、当然ながら田舎生活はいらなくなってくる。はたしてそれが本当にいいことなのであろうか。能率では量れない大切なものが、まだまだたくさんあるのではないかと訴えてくる。

山歩きをするのにネクタイを付けた正装姿。写真を撮り終えたあとに、ありがとうございましたと頭を下げる挨拶。病気の身体を押して続ける撮影。父にとって、この写真集の仕事は命よりも大切な惜別の行為であったと思う。そして、その姿を息子にしっかりと見届けて欲しかったのだ。それを受けて、最後の写真撮影で感涙してしまう。

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2006/04/18

MY FATHER マイ・ファーザー

製作年:2003年
製作国:イタリア/ブラジル/ハンガリー
監 督:エジディオ・エローニコ

1985年6月。ブラジルのマナウスでヨゼフ・メンゲレのものとされる白骨死体が発見される。彼はヒトラー政権の下、アウシュヴィッツ収容所で残酷な人体実験を繰り返し戦犯となるが、南米を中心に長い逃亡生活を送っていた。それを見つめる息子へルマンは8年前に父と会ったことを思い出すが…。

「わしは人間を一人も殺したことがない」。父メンゲレ(チャールトン・ヘストン)はきっぱりと言い切る。アウシュヴィッツ強制収容所で数々の人体実験が行われた理由の一端がそこで分る。例えば、科学実験などで蛙や鼠を使ったとしても、一般的には虐殺とか非道の行為とは感じないし、それで非難を受けることはないであろう。

つまり、メンゲルはユダヤ人を全く人間扱いしておらず、実験動物とみなしているのだ。人種差別というレベルを超えている。それを信じて疑わない者に、何を説いても馬耳東風なのであろう。全く恐ろしいことだ。

そんな父と対峙する息子へルマン(トーマス・クレッチマン)であるが、うまくいかず父の前から逃げるように疾走する場面が2度もある。巨大な壁のような父に激しい情念をぶつけても、びくともせず反対にはねかえされてしまう。その無念の走りだろうか。

ヘルマンが生き残ったユダヤ人女性から凄まじい憎悪を浴びせ掛けられる。宿命とはいえ、あまりに過酷である。胸が張り裂けそうな感じを受ける。

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2006/04/07

恋の風景

製作年:2003年
製作国:香港/日本/中国/フランス 
監 督:キャロル・ライ

香港でマンと恋人サムは幸せな日々を過ごしていた。だが、サムは不治の病気で亡くなってしまう。マンはサムが死を前に描き遺した絵の風景を求めて、彼の故郷である青島へとやってくる。彼女は郵便配達をしながら絵本作家を目指している青年シャオリエに出会う。シャオリエはマンの風景探しを手伝うが…。

この映画を観ていて、岩井俊二監督の「Love Letter」(1995)を思い出しました。最愛の恋人を亡くし、彼の残した不思議な謎を追いかけていく女性。それを助ける男性の存在。いかにして彼の死を受け入れていくか。プロットに共通するところが多い。

真冬の青島の風景描写が素晴らしい。マン(カリーナ・ラム)の閉ざされた心象を表現しているようだ。亡き恋人サム(イーキン・チェン)が遺した絵の風景を探して、マンとシャオリエ(リィウ・イエ)は街じゅうを歩き回る。その街並みは透徹した美しさに溢れ、心に深く焼き付く。

マンが動物園と梨畑で見る幼い子供はサムであろうか。子供が走っていく先にシャオリエがいるのがポイントだ。サムはマンの中にいる自分の記憶を少しずつ消していき、新しい恋へと導いていく。

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2006/04/01

タッチ・オブ・スパイス

製作年:2003年
製作国:ギリシャ 
監 督:タソス・ブルメティス

1959年、トルコのイスタンブール。ファニス少年はスパイス店を営む祖父ヴァシリスからスパイスの様々な効能と人生のすべてを学び、幸せな毎日を過ごしていた。しかし、トルコとギリシャの間で紛争が起り、ギリシャ系移民の一家はトルコ国籍を持つ祖父を残し、アテネへ強制退去となってしまうが…。

「美食家(ガストロノモス)の中には天文学者(アストロノモス)が潜む」。この意外な組み合わせがまず興味深い。「肉団子にクミンは当たり前だが、時にはシナモンを入れるような意外性も、人生の重要な時には必要なのだ」。この台詞も心に残る。少年ファニス(マルコス・オッセ)と同様に思慮深い祖父ヴァシリス(タソス・バンディス)に魅了される。

故郷コンスタンチノープルを追われ、大好きな祖父や初恋の少女サイメとも別れてしまう。哀しいエピソードが続くのであるが、不思議な明るさに満ちている。生きていれば必ず不条理と思えるようなことに遭遇する。辛い出来事があったとしても、スパイスの使い方ひとつで人生は豊かにも貧しくもなる。人生の極意はここにある。

ラスト・シーンが素晴らしい。スパイスと宇宙が渾然一体となって夢幻的な美しさに包まれる。戻るべきところに帰ってきたファニス(ジョージ・コラフェイス)の心を表現したようだ。余韻の残る一場面。

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2006/03/26

永遠の片想い

製作年:2003年
製作国:韓国 
監 督:イ・ハン

ある時、ジファンのもとへ差出人不明の一通の手紙が届く。その封筒の中には“逢いたい”と一言だけ記された1枚の写真が入っていた。それを見ると5年前の夏の思い出が蘇ってくる。その当時、彼はバイト先の喫茶店で親友同士の女の子スインとギョンヒと出会った。ジファンはスインに一目惚れするのであるが…。

どうして、三人は離れ離れになってしまったのか。この疑問がうまくストーリーを引っ張っていく。そして、手紙やネガフィルム写真などが巧みに重用されている。これらのアナログアイテムの素朴さが、回想シーンと現在をうまく繋ぎ合わせ、時間軸を崩した構成にも無理がない。Eメールやデジカメなどのデジタルアイテムでは出せない味わいだ。

時計を巻き戻すエピソードにしても、それ単体ではあまり気の利いたものとは言えないが、後半にもう一度使われることによって、観る者に深い哀しみを伝えることになる。脚本がとても丁寧だ。

「私の頭の中の消しゴム」(2004)や「四月の雪」(2005)などで活躍を続けているソン・イェジン。「スカーレットレター」(2004)を最後に自殺してしまったイ・ウンジュ。眩しいほどの笑顔を見せてくれた二人のその後を思うと、あまりにも対称的で切なくなってくる。

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2006/03/15

シルミド SILMIDO

製作年:2003年
製作国:韓国 
監 督:カン・ウソク

1968年1月、北朝鮮特殊工作部隊による韓国大統領襲撃未遂事件が発生する。同年4月、韓国政府はその報復として仁川沖のシルミド(実尾島)に死刑囚ら31人の男たちを集め、極秘に金日成暗殺指令を下した。彼らはその時の年月から名付けられた684部隊の特殊工作員としてチェ准尉の下、過酷な訓練を開始するが…。

文字通り帰る場所をなくしてしまった男たち。あまりに過酷で無残なものだ。無論、そもそも死刑囚となるくらいの犯罪をしたものに過剰な同情は不要との意見もあるだろう。だが、既にないものとしていた希望を与えられえ、また簡単に奪われてしまう。人間としてではなく、機械のような扱いだ。人間の尊厳を傷つける行為として観るものに、彼らの怒りと哀しみが伝わってくる。

国家というものがいかに信用できないものなのか痛感する。担当者が変わってしまえばそれまでの命令になってしまう。それが国家と言われても一貫性はない。あまり理不尽である。

なぜ、684部隊訓練兵に対して好意的な発言をしてきた上官が、部隊の抹殺命令を受けて先頭に立っていくのか。一方、苛烈な訓練を指導してきたもう一人の上官は最後まで部隊を守ろうとする。この二人の対立が興味深い。優しい言葉は誰にでも口にすることができる。心底から親身となって気にかけるものは、逆に厳しい言葉を投げかけるものかもしれない。

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2006/03/03

巴里の恋愛協奏曲

製作年:2003年
製作国:フランス 
監 督:アラン・レネ

1925年、パリ。美しいジルベルトは実業家のジョルジュと理想的な結婚生活を送っている。彼女は専業主婦には収まりきれず、新進気鋭の芸術家シャルレと火遊びを楽しんでいた。ある時、ジルベルトの元夫でアメリカ人のエリックが彼女の自宅に現れる。彼女はジョルジュに離婚歴があることを隠していたのだが…。

第29回セザール賞でダリー・コールの助演男優賞、音響賞、衣装デザイン賞を受賞。

まずなんと言っても楽曲の楽しさ。伸びやかな歌声。軽快なメロディ。ユーモアたっぷりの歌詞。全編、楽曲の魅力に満ち溢れ、大いに聴き惚れる。

ここで疑問になるのは、アメリカ人の前夫エリック(ランベール・ウィルソン)の存在である。別れた妻を取り戻そうとするのはあまりに無策すぎるし、彼女の幸福を邪魔しようという悪巧みもない。キーパーソンとしてはあまりに中途半端な存在。

では、どういう男なのであろうか。彼は幼少の体験がトラウマとなっていて、女性と正常な関係性を築けずに苦悩していることが劇中で明らかになっていく。幸福を手にしたいけれど、その手段を知らないでいる男。迷いの中にいるものだから、曖昧な振る舞いを続けるのだ。

だが、そんな彼も変わっていく。幼少のトラウマを告白することによって、結果的に開放されていく。苦しみをはっきり認識することによって、その苦しみを克服することができる。そんなエリックが、愛を得られないのであれば、別の人を探せとフランス人に助言するのが興味深い。彼の行動は当初、正反対だと感じさせるが、結果として自分の言葉通りになって幸福を手中する。

やはり、妄執は悲劇しか生まない。何かを捨て去ることから別の何かを得ることができるのだ。

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2006/03/01

歌え ジャニス★ジョプリンのように

製作年:2003年
製作国:フランス/スペイン 
監 督:サミュエル・ベンシェトリ

保険会社に勤めるパブロは車庫に入れたまま運転しない高級車の掛け金を着服していた。しかし、その車が盗難に遭い事故を起し乗り捨てられる事件が起る。50万フラン支払わなければならなくなったパブロは、最近100万フランの遺産を相続したいとこのレオンから金を騙し取ることを画策するが…。

「世界を相手に戦っているつもりだが、世界は最初から相手していない」。キャノン(ジャン=ルイ・トランティニャン)の言葉が重く響く。パブロ(セルジ・ロペス)のように業務上横領を働くものは、自分の世界を完全に把握しコントロールしているつもりである。だが、些細なことで簡単にその世界からほうり出されてしまう。予想もしなかったことは日常的に起きる。その事態に驚くのでなく、それが当たり前として最善策を考えることが必要だ。

それなのにパブロは判断ミスを繰り返す。遺産を相続したレオン(クリストファー・ランバート)の財産に目をつける。彼はまだ世界をコントロールできると過信しているのだ。最初から彼の計画は穴だらけなのだが、うまくいくと思い込んでいる。ここからコメディ要素が強まるが、重い教訓も含まれている。

ジャニスの歌を唄うことによって自分の人生に自信が持てず日常生活に埋没していた主婦ブリジット(マリー・トランティニャン)が再生されていく。ここでポイントなのは、単に歌を唄う行為ではなく、自らの創造性を発揮することがいかに大切なのかということである。常に新しい何かを生み出そうと生きるものは、つまらない時間を送る暇などないのだ。

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2006/02/18

マザー・テレサ

製作年:2003年
製作国:イタリア/イギリス 
監 督:ファブリツィオ・コスタ

1946年、インドのカルカッタ。カトリック修道院のマザー・テレサは数々の問題をおこしダージリンの修道院へ転院することになる。その移動の途中で彼女は神の声を聞いてしまう。自分の居場所が修道院の中ではなく貧しい群衆の中にあると悟ったマザー・テレサはカルカッタに戻り修道院の外で活動を開始するが…。

気付いてしまうことの不思議さ。老人が横たわっている姿を見たとして、無関心で通り過ぎていく者もいれば、そこに神の存在を見出すものもいる。気付く事ができるというのも才能である。

「神が望むならうまくいく。望まないならあきらめるだけ」というマザー・テレサの思考法が単純明快で清々しさを感じる。トラブルが起こっても簡単に乗り越えていくように見えるが、それは彼女を助けようと周囲の人々が動いてくれているのだ。彼女は頑固であるけれど実に聡明でユーモアのある人物として描かれている。彼女は貧困と飢えに苦しむ人々を助けたいという崇高な意志を示すが、彼女の人柄に魅了されて周囲の人々が行動していくのだ。

終盤になって、晩餐会の費用がいくらとか、ミネラル・ウォーターの値段がいくらとかマザー・テレサが問い質すシ-ンが続く。単にお金に細かいということでなく、あの年になっても実務に携っていることが分かるし、最後までボランティア活動を組織化することに反対してきた理由の一端が伺える。

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2006/02/15

オープン・ウォーター

製作年:2003年
製作国:アメリカ
監 督:クリス・ケンティス

お互いに仕事が忙しいダニエルとスーザンの夫婦は、なんとか休暇を取ってカリブ海へ向かう。二人は沖合のポイントまでボートで向かうダイビング・ツアーに参加する。このボートには多数のダイバーが参加し盛況だった。ダイビングを満喫し海面に上がってみると、ボートは帰ってしまったのだが…。

置いてきぼりになる。忘れ去られる。気付いてもらえない。自分という存在を否定されてしまうことも恐怖の源泉のひとつであろう。本作品は鮫に襲われるという肉体的恐怖と同時に、そうした精神的恐怖も描かれているのが秀逸だ。

ファースト・シーンも巧い。男女が別々に電話で話していて別の場所にいるような感じを抱かせているが、実は同じ家だったという軽い驚きから始まる。夫婦間に漂っている表面化していない漠然とした不満感、価値観の違いが最初のシークエンスで見事に描かれている。

夜の海の場面では、雷の稲光で二人を映すところにも唸らされた。その光が途切れ途切れにしか残っていない彼らの生命力や希望を象徴しているようであった。

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2004/10/19

ミッシング

製作年:2003年
製作国:アメリカ
監 督:ロン・ハワード 

1885年、ニューメキシコ州。マギーは2人の娘を育てながら医者として生計を立てている。ある日、アパッチ族との生活を選んで家族を捨てた父親ジョーンズが帰ってきた。マギーは拒絶するが、長女がネイティヴ・アメリカンにさらわれてしまう。マギーは彼らの習性をよく知るジョーンズに協力を依頼し、一緒に追跡を開始するが…。

悪い話ではないが、137分という上映時間がやけに長く感じた。

妖術師から呪いをかけられたマギーを救おうと、みんなで祈祷をするところなど、いい場面もあったが、同じようなエピソード、余分な挿話が多かったからではないだろうか。

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