製作年:2001年

2009/01/20

オリンダのリストランテ

製作年:2001年
製作国:アルゼンチン
監 督:パウラ・エルナンデス

人生に意欲をなくしてしまったら、少しずつ衰退していくのであろう。イタリカからブエノスアイレスに渡り、たったひとりでオリンダ(リタ・コルテセ)が作り上げた小さなリストランテ。人生に疲れてしまい、その店を手放そうかどうか迷っている時、作り料理も冴えなくなってしまうものなのか。序盤で、オリンダの料理に調味料を求める客が繰り返し登場するのはその表れだろう。そんな彼女の前に現れた不器用なドイツ人ピーター(アドリアン・ウィツケ)。この出会いが人生の転機となるのだから面白い。ピーターを助けている内に、オリンダは新たな道を見つけていくのだ。そして、輝くような存在感を取り戻していく。

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2008/08/16

子猫をお願い

製作年:2001年
製作国:韓国
監 督:チョン・ジェウン

高校時代、なんの屈託もなく笑いあった仲間たち。卒業後、何度も集まってみるが、どこか笑顔がぎこちない。虚栄。見栄。嫉妬。様々なマイナス感情が笑顔を隠してしまう。彼女たちは、まだ自分の居場所を見つけられずにいるのだ。高校時代には学校があった。将来への夢も漠然と見ていた筈だ。だが、実際にその夢のスタートラインについたとしても、次に進む道を探せないでいる。その苛立ちを友人たちにぶつけているのだろう。映画のラストで、彼女たちは新たな旅に出る。その先に、彼女達の居場所があるかどうかは分からない。しかし、そうした旅を重ねながら、屈託のない笑顔を取り戻すと信じたい。

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2006/09/28

ビハインド・ザ・サン

製作年:2001年
製作国:ブラジル
監 督:ウォルター・サレス

1910年という年譜の記述が重要な意味を持つ。いつまでも終わりの見えない不毛な復讐劇。ブラジルの荒地を舞台にしているから、時間を超越した神話的雰囲気を醸し出している。

それでも、時代は変わっていく。新しいテクノロジーの発展により、同じ作業をしても減ってしまう収入。奴隷制度の崩壊。未知の世界へ誘う本。父親の頑なな価値観で子供たちを縛っておくことはできなくなってしまうのだ。

そうした新しい世界への希望を表しているのがブランコではないか。次男トーニョ(ロドリゴ・サントロ)が乗っているときに縄が切れてしまうのが、複雑な意味を込めた暗喩になっている。

新しい世界への脱出とも、夢からの脱落ともとれる。三男(ラヴィ・ラモス・ラセルダ)のように素直に夢へ進んでいけない逡巡がそこから感じられた。

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2006/01/21

コースト・ガード

製作年:2001年
製作国:韓国
監 督:キム・ギドク

南北境界線を監視する海兵隊のカン上等兵は北朝鮮のスパイを打ち倒すことに血眼となっていた。ある夜、立ち入り禁止となっている海岸に不審な人物を見つけ即座に射殺する。だが、その男は恋人との情事を楽しんでいた地元住民だった。カン上等兵はショックを受ける。上層部は任務に忠実だったと表彰するのであるが…。

境界線にまつわる物語に魅了されるのは、そこにアイデンティティーに対する切実な問い掛けが隠されているからだろうか。生と死、男と女、国と国、正常と異常、日常と非日常。その境界線がぼやけてしまうとき、様々なドラマが生まれ、自分とは何か改めて考えさせる起点となる。そうした意味で分断国家として今なお存在している朝鮮半島は、数々の物語を生み出すことが宿命づけられているのかしれない。

本作品が興味深いのは様々な境界線が設定されていることだ。時代背景は現代に近いと推測されるが、朝鮮戦争から十数年経ち緊張が緩んでしまった北朝鮮との関係がまず一つ。立ち入り禁止となった海岸線。軍隊を統率すべき規範と上下の関係。地元住民と海兵隊。加害者と被害者。それぞれの境界線が曖昧になったとき、思いもかけない事態が次々と発生する。

さすがキム・ギドクの映画だと唸らせてくれるのは、カン上等兵(チャン・ドンゴン)が襲撃するときに、顔をぼかしていることだ。単にひとりの狂人の犯行ではない、加害者は誰にでもなりうることを表現していると解釈しました。やはりキム・ギドクの映画は見逃せないなぁと確信させる。

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2005/12/25

ヒューマンネイチュア

製作年:2001年
製作国:アメリカ/フランス 
監 督:ミシェル・ゴンドリ-

異常に毛深い体質の女性ライラはマナーに異常な関心を示すネイサン博士と出会い恋に落ちる。ネイサンは礼儀正しい文明社会こそが人類を救うと信じていた。ある時、二人は森へ出かけると、自分を猿だと思い込んでいる男に出会う。ネイサンは彼を“人間”として再教育しようと研究所へ連れ帰るが…。

三人三様の証言で物語が進んでいく。しかも、一人は死者ということで黒澤明監督の「羅生門」(1950)を連想させる作りになっている。何故、ネイサン(ティム・ロビンス)は死んでしまったか。その疑問と共に、最後まで画面にひきつけられる。

マナーとは何か、皮肉的に描かれている。マナーが類人猿と人間を分ける違いの象徴になっている。マナーを身に付けることで、ありのままの自分を捨てて、世間一般の理想的人物に変わって登場人物たち。その姿はどこかぎこちない。そうかといって、“ありのままの自然が一番だ”というような単純な落ちでも終らない。この中途半端の浮遊感こそ、さすがチャーリー・カウフマンのシナリオだと思わせる。

「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズでエオウィン姫を演じていたミランダ・オットー。彼女がネイサンを誘惑する研究所助手として出演していたことが発見。

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花嫁はギャングスター

製作年:2001年
製作国:韓国
監 督:チョ・ジンギュ

女組長のウンジンは、幼い頃に孤児院で生き別れになった姉をようやく探し当てる。だが、姉は末期ガンで余命僅かの状態だった。ウンジンは姉のために結婚を決意する。さっそくお見合いをするが、かわいらしく振る舞えず失敗ばかり。やっと、モテないけれど真面目な公務員スイルを見つけ、どうにか結婚に持ち込んだが…。

「たった一人で50人の敵を倒した」という女組長ウンジン(シン・ウンギョン)の武勇伝。それを冒頭で見せる。雨中の格闘シーンはスタイリッシュでクール。ここで一気に引き込まれたのだが、後が続かない。

コメディーって、逃れる術を全て失ってしまった設定に入り込んでしまった登場人物が、悪戦苦闘する様が可笑しいのである。本作品の主人公が結婚しなければならなくなるという設定に無理があるのではないか。無論、儒教の精神が息づいており、目上の人の言葉が絶対的な意味を持つにしても、黒社会で組長を務めるものが、こんなことでドタバタするのかという思いが残り続ける。

不自然な結婚をした者同士がある事件をきっかけに惹かれあうという流れは、この種のドラマのパターンであるが、それも崩されている。スイルがウンジンの代わりに殴り込みをしてはいけないでしょう。確かに組の歴史を語る場面が反復され、コメディーポイントにはなっているのだが、ドラマとしては物足りない。

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2005/12/13

受取人不明

製作年:2001年
製作国:韓国 
監 督:キム・ギドク

1970年末の在韓米軍部隊が駐屯している村。米兵との混血児であるチァングクは母と村の外れにある赤いバスで暮している。小さい頃片目をけがしたウノクは、コンプレックスのためいつも前髪で顔の半分を隠していた。米軍基地前の肖像画店で働く気弱なジフムはウノクに好意を抱くが…。

紛れもないキム・ギドク監督の作品だ。あまりに痛烈で胸がかき乱される。逃れる術のない苦しみを抱き、罪を重ねてしまう人たち。「受取人不明」というタイトルが彼らと重なってくる。

アメリカの軍用機の描写が繰り返されているが、今も朝鮮戦争の影響下にあることを暗示させている。戦争で片足を負傷した父。戦死したと思われていて実は北に亡命していた父。アメリカに帰国したまま音信不通になってしまった父。主人公三人の家庭は朝鮮戦争によって傷つき、そのことが息子、娘に暗い情念を抱かせている。そうした元凶をアメリカにあるとして非難するのであれば、少女ウノクに近付くアメリカ兵ジェームズをもっと悪く描いていただろう。米軍の中で異端であり続ける彼も戦争によって傷ついているアメリカ社会の象徴である。

本作品では目に関わるエピソードが執拗に続く。幼い頃ウノクはおもちゃの拳銃で右目を負傷する。ジフムの目はウノクの部屋を覗きみる。犬商人ケヌンはチァングクに「犬に負けない目を持て」と教える。ウノグを襲った二人組に復讐するために自家製の拳銃を向けるがジフムだが暴発し右目を負傷する。ウノクの目を直すことで彼女に接近するジェームズ。見事に連鎖していくのだ。それは不条理な世界に振り回され、適えたい思いは打ち砕かれ、コントロールできない社会への苛立ちを象徴しているのではないか。

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2005/09/16

ロスト・メモリーズ

製作年:2001年
製作国:韓国/日本
監 督:イ・シミョン

1909年。中国ハルピン駅での伊藤博文暗殺は失敗に終わった。日本は米国との同盟を結び第二次大戦を連合軍側につき戦勝国となる。朝鮮半島の日本併合はそのまま続いた。2009年、ソウル。朝鮮独立を目指すテロ集団が井上財閥主催の美術展を襲撃する。直ちにJBI(日本特殊捜査局)が出動するが…。


動画無料配信の「GyaO」で初めて映画を観てみました。インターネットで映画を観られる時代になったのだと感慨深かったです。

坂本(チャン・ドンゴン)がスパイとして同僚に射殺された捜査官の父を懸命に否定しようとするが、決して忘れることはできない。日韓併合という形で祖国をなくしても、国ヘの想いが断ち切れない“不令鮮人”の姿と重なるし、その後の行動を暗示している。

問題なのは坂本の捜査方法である。いくら疑惑のある企業であっても、正面から狂騒的に向かっていってはまともに相手にされないのは当たり前である。それで停職処分を食らって局長にどなり込むところもどうかと思う。おかしな日本語の発音については目をつぶっても、こういうところにはリアリティーを求めたい。

そして、坂本とオ・ヘリエ(ソ・ジノ)の因縁ももう少し説明が欲しかった。ここが物語の肝であると思えるのだ。坂本が記憶をなくしているのはいい。だが、ヘリエの存在はどういうものだったのか、もう一つ納得できなかった。

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2005/09/05

ウェルカム ヘヴン

製作年:2001年
製作国:スペイン/フランス/イタリア
監 督:アグスティン・ディアス・ヤネス

地上で暴力や犯罪が多発している現在、天国では昇ってくる魂が激減し、破産の危機に直面していた。一方、地獄は堕ちてくる魂が急増し、過密状態が続いている。双方が、この危機的状況を打破するカギを見つけた。マドリードに暮らすボクサーのマニの魂を迎え入れることだ。天国と地獄は、それぞれ使者を送り込むが…。

物語のディディールが分り難く、単純に楽しむことができなかった。何故、うらぶれたボクサーが天国と地獄の間で争奪戦となるような重要人物なのか? 「ライ麦畑でつかまえて」の意味は? そこに重要な暗喩があるのかもしれないが、読解できなかった。

天国と地獄の工作員同士が共同生活を過ごす内にひそかに共感し合っていく。そこで天国と地獄の境目が曖昧になっていく。

そもそも天国と地獄の境目とは何だろうか。消化不良のまま、疑問ばかり残っていく作品だった。

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2005/09/02

エニグマ

製作年:2001年
製作国:イギリス
監 督:マイケル・アプテッド

1943年、イギリス軍の暗号解読センター。ナチスドイツの暗号化装置“エニグマ”の暗号コードが突然変更されたため、解読チームが窮地に立たされていた。かつてこの暗号を解読したトムが呼び戻される。彼は同じセンターで働く恋人クレアと喧嘩別れしたことで神経衰弱に陥り、強制的に休暇を取らされていたのだが…。

ロンドン北97km、ブレッチリー・パークにあった暗号解読チーム。「カチンの森」事件。今まであまり伝えられなかった歴史の一部が本作品で綿密に描かれている。第二次世界大戦をテーマに描いた映画はたくさんあるが、まだまだ知らないことがたくさんある。そのことを興味深く考えさせられたことがひとつ。

事件と共にトム・ジェリコ(ダグレイ・スコット)のクレア(サフロン・バロウズ)の恋の記憶が断片的に挿入されてくる。この編集が絶妙でミステリー的興趣が増してくる。

事件を追いかける諜報部員をジェレミー・ノ-ザムが好演。嫌らしい笑顔を見せながら、トムを追い詰める様がなかなかよい。

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