製作年:2000年

2010/10/24

ユー・キャン・カウント・オン・ミー

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製作年:2000年
製作国:アメリカ
監 督:ケネス・ロナーガン

借金のために故郷に戻った弟。日々の生活を余裕なく暮らすシングルマザーの姉。どうでもいいと呟きを重ねる幼い息子。

山田洋次監督「おとうと」(2009)のアメリカ版のような物語。大人になりきずいつも周囲に騒動を巻き起こしてしまうテリー(マーク・ラファロ)の姿は笑福亭鶴瓶と容易に重なるが、姉の設定は吉永小百合とは随分違っている。しっかり者のようでありながらサミー(ローラ・リニー)自身、非常に危うさを秘めた女性である。テリーのことを叱る一方で、彼女自身が大人になりきれていない様子が何度も繰り返される。家族にトラブルがあったとしても無断欠勤は許されないものであるし、誘惑に負けて不倫の道を進んでいくなど見ている方がヒヤヒヤさせられる。

頼るべき誰かがいることはとても幸せなことであるが、それに甘えすぎてはいけないと感じる。

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2010/03/12

スリ

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製作年:2000年
製作国:日本
監 督:黒木和雄

黒木和雄監督は本作品以降、「美しい夏キリシマ」(2002)、「父と暮せば」(2004)、「紙屋悦子の青春」(2006)と、続けさまに太平洋戦争末期の市井の人々を描ききって逝去された。だが、本作品の前は、「浪人街 RONINGAI」(1990)を最後に10年間も作品を発表されなかった。作りたくても出来なかったのか詳しい事情は分からないが、監督の思いが本作品の主人公、海藤(原田芳雄)と重なり見えて仕方がなかった。

凄腕のスリでありながら、アルコール中毒になってしまい満足に仕事も出来なくなってしまった男。ヒモ同然で暮らす日々に飽き足らず、再起を目指す話である。個々のエピソードを含め、思い通りには生きられない人生の苦みが強い作品になっている。海藤にどんな結末が待っているか、ここでは記さないが、黒木和雄監督は見事に復活を遂げた。そのことを喜びたい。

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2006/07/21

メルシィ 人生

製作年:2000年
製作国:フランス
監 督:フランシス・ヴェベール

冒頭の記念写真の場面と「僕はいままで透明人間でした」というピニョン(ダニエル・オートゥイユ)の台詞がうまく結び付いている。ゲイ騒動によって、今まで経験したことのない注目を彼は集めることになる。そして、彼はそれまでの自分に何が足りなかったのか気付いていく。

最後に記念写真をもう一度持ってきて、そのことが分る仕掛けだ。人生、遠慮ばかりしていてはいけない。ここぞというところではしっかりとアピールしなければ、何も掴むことはできない。

興味深いのは、人間、レッテルひとつ貼られるだけで、どんな風にも見られてしまうということ。同じ言葉、同じ挨拶、同じ仕草であっても、レッテルひとつで違うように感じられてしまう。

本作品の中では、ゲイという分りやすい例で示されているが、これは普遍的なことであると思う。周囲の目は関係ないと粋がるのは簡単であるが、それによって生き易くも生き難くなることを自覚しておくべきだ。

もうひとつ面白かったのは、差別的言動を繰り返していたサンティニ(ジェラール・ドパルデュー)の変貌であろう。同僚の悪戯からとは言え、徹底的に差別用語を禁じられると、精神的に参ってしまうくらい自己をなくしてしまう。

これは何故か。差別する心とは恐怖の裏返しであるからであろう。激しく罵倒する言葉の裏側で、無意識のうちにも取り込まれてしまうことを恐れているのだ。

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2006/07/16

ファストフード・ファストウーマン

製作年:2000年
製作国:アメリカ/フランス/イタリア/ドイツ
監 督:アモス・コレック

孤独を恐れ愛する人を求めているのに、心を素直に開けない。その関係を失ってしまうことを恐れ、一歩前に踏み出す勇気を持てないでいる。

だが、新しい何かを手にするには、何か行動することが必要なのである。その典型的な事例を体現しているのがヒロインのベラ(アンナ・トムソン)。出来過ぎの強運を手にするが、それも彼女がある行動から導かれたもので、棚からぼた餅のような話ではない。

彼女が全裸でバルコニーに立つ場面が反復されているが、決断できない自らの心をリセットさせている感情を表しているものではないだろうか。

大切なのは、その強運がきっかけとなって、彼女は自らの人生を大きく展開させたことである。不思議な魅力を持った群像ドラマである。

淡々とエピソードが重ねられ、軽妙な会話劇で進んでいく。その狭間に陰影深く登場人物の表情を捕らえたカットが挿入され、彼らの生涯が胸に刻み込まれていく。そして、最後は温かな感情を呼び起し幕切れとなる。

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2005/12/24

トラフィック

製作年:2000年
製作国:アメリカ
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ

ティファナ。メキシコ州警察の警官ハビエールはサラサール将軍の密命を受け麻薬カルテル一味の壊滅に協力する。オハイオ。新任の麻薬取締最高責任者ロバートは娘が麻薬に溺れていることを知る。サンディエゴ。麻薬王の妻は夫と子供を守る為、自らも悪の組織に手を染めていくのだが…。

第73回アカデミー賞でベニチオ・デル・トロが助演男優賞、監督賞、脚色賞、編集賞を受賞。第51回ベルリン国際映画祭でベニチオ・デル・トロが銀熊賞(男優賞)を受賞。

アメリカは麻薬戦争に負けた。その無念の呟きが深く胸に焼き付く。本作品は、麻薬の供給源をいくら取り締まっても不毛であることを感じさせる。ひとつの組織を壊滅させたとしても、別の組織の台頭を生みだすことになるだけだ。アメリカ社会を蝕んでいる麻薬の実態を、麻薬の輸出側、麻薬の流通業者、麻薬を取り締まる側、麻薬の消費者という複数の視点から描く。麻薬は産業として確立されてしまっているのだ。

ハビエール(ベニチオ・デル・トロ)は子供たちのために野球場の照明を作り、ロバート(マイケル・ダグラス)は仕事を辞めて娘の治療に専念する。彼らの決断の重さ。その麻薬に対抗するため本当に大切で必要なものは、子供たちへの教育ではないかと本作品では訴えかけている。

臨場感ある映像にも魅了された。本作品を観るのはこれで三回目になるが、メキシコ=黄色、ワシントン=青の色分けは何度観ても斬新で鮮烈な印象を受ける。

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2005/12/13

アナーキスト

製作年:2000年
製作国:韓国
監 督:ユ・ヨンシク

1924年の上海大虐殺で家族を失った少年サング。復讐のため破壊活動を行い公開処刑されることになるが、義烈団の団員たちに救われそのまま彼らと生活を共にする。彼らは洗練された服装で大きな仕事の前には記念写真を撮ったり、仕事の後にはワインやビールでパーティーに参加したりしていたが…。

自分たちの理想に向かって、いまやっていることは正しいのだろうか。ハン(キム・サンジュ)が後半で呟くこの言葉が重く響く。祖国独立を掲げて戦っている筈なのに、いつしか活動資金確保のために麻薬の取引現場を襲撃することになってしまう。日々、目標に向かって懸命に頑張っているつもりでも、いつしか手段を守るための仕事になってしまうことがある。常日頃から何の為にこの仕事をしているのか、振り返ることが大切なのであろう。

大仕事に取り掛かる前に、全員で記念写真を撮るシーンが繰り返させる。よくよく考えてみると組織全員の顔写真が明らかになってしまい、非合法活動としてはあまり巧い儀式とは言えないだろう。実際に本作品でも捜査に利用されてしまっている。だが、区切り区切りでいいアクセントになっているし、感傷的な思いが広がる。

本作品のマイナスポイントは、ドラマが起承転結の“転”ぐらいから始まった感じで、それまでの主人公達の背景が感じられないこと。本作品はサング(キム・イングォン)が義烈団に入るところから始まり彼の成長ドラマを主軸となっているはずだが、視点が散漫でまとまりがない。少なくともサングと写真館の娘リンリンとの恋の過程をもっとじっくり描くべきだ。その為、クライマックスの時計のエピソードが生きてこない。

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2005/10/18

エブリバディ・フェイマス

製作年:2000年
製作国:ベルギー/フランス/オランダ 
監 督:ドミニク・デリュデレ

ジャンは妻のシャンタルと17歳の娘マルヴァとの三人暮らし。マルヴァを歌手にさせたいと熱望するジャンは熱心に応援するが、マルヴァはコンテストで何度も惨敗してしまう。反抗期のマルヴァは次第にジャンを迷惑がる。そんなある時、ジャンの勤めているビンの製造工場が倒産してしまうが…。

あれよあれよといううちに意外な展開へ進んでいくところが楽しい。誘拐方法にしろ、交渉過程にしろ、若い同僚のウィリーに助けを求めるところなど、犯罪ドラマとしては甘いところがたくさんある。現実味は大いに欠けるがあまり気にならない。それは物語の語り口が巧いからであろう。

マルヴァが子供たちに人形芝居で歌っている場面を挿入しているのが本作品のポイント。彼女には歌の才能があるのだが、それを表現する方法を知らなかったということが後々の伏線となっている。また、誘拐されるスター歌手のデビーがクルマの整備好きであるというところも誘拐事件へ見事に繋がっていく。

そして“ラッキー・マヌエロ”の歌がすべてさらっていく。最後は気持ちの良い着地点。まるでおとぎ話のようだ。めでたし、めでたし。

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2005/08/13

舞台よりすてきな生活

製作年:2000年
製作国:アメリカ 
監 督:マイケル・カレスニコ

ロサンゼルス。イギリス人劇作家ピーターは子供が嫌いなために上演も間近に迫った新作戯曲の子役の部分が上手く描けずスランプに陥っていた。その上、夜中になると隣の犬の声が気になって眠れずストレスが募っていた。そんなある時、エイミーという足の不自由な少女が向かいに引っ越してくるのだが…。

思わぬところで人生を変えてしまう出会いがある。苦手だ、嫌いだと頑なに拒まず、あるがまま自然に接していく。そうしているうちに、新たな道が開けてくる。出会いの素晴らしさと別れの切なさを丁寧に描かれた作品でした。

ウディ・アレン監督作品の登場人物のようなピーター(ケネス・ブラナー)。言葉多く不満を連ねるが、彼のスランプはひとつの型に縛られて、自由な発想を得られなくなった事に因している。それを破るきっかけは利己的な理由からであったが、そこからの流れが良い。ピーターに感情移入し、一気に画面へ惹き付けられる。

本作品のような軽妙洒脱な大人のコメディは、いろんなことを感じさせてくれる。

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2005/07/26

エリン・ブロコビッチ

製作年:2000年
製作国:アメリカ
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ

カリフォルニア州モハベ砂漠の小さな町。エリンは三人の子持ちのシングルマザー。職探しの帰り、追突事故に巻き込まれてしまう。引退を控えた弁護士エドに裁判の弁護を依頼するも和解金を取り損ねる。貯金も尽きた彼女はエドの法律事務所へ押しかけ、強引に彼のアシスタントとして働き始めるが…。
第73回アカデミー賞でジュリア・ロバーツが主演女優賞を受賞。

2回目の鑑賞となる。こうして観直してみると、紛れもなくスティーヴン・ソダーバーグ監督の作品であることがわかります。軽快なリズムを奏でるショットの繋ぎ。無駄のないストーリー展開。さりげないが計算されている構図。そういう演出ぶりにまず唸る。

絵に描いたようなサクセスストーリーであるが、実話としての重みがある。映画の中では描かれておりませんが、実際のエリン・ブロコビッチは、長期間汚染調査を続けたために、六価クロムに侵され倒れて入院した事もあったという。映画では子供達や隣人(アーロン・エッカート)との私生活を犠牲にしてきた。棚から牡丹餅のような話ではない。

いつの間にかエリン(ジュリア・ロバーツ)のペースに巻き込まれてしまうエド(アルバート・フィニー)のユーモラスな存在感も忘れ難い。

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2005/07/08

西洋鏡 映画の夜明け

製作年:2000年
製作国:中国/アメリカ
監 督:アン・フー

1902年、北京。写真館で働くリウは好奇心旺盛な青年であった。ある時、写真館にやってきたイギリス人・レイモンドと出会う。彼はレイモンドの語る“西洋鏡”と呼ばれる動く写真に強い興味を示す。その後、レイモンドは活動写真小屋を開く。だが、外国人に対する反感は根強く、客の入りは芳しくなかったが…。

父親の言うとおり金持ちの寡婦と結婚すべきなのか、自分の好きなリン(シウ・ユフェイ)を選ぶべきなのか。リウ(シア・ユイ)の葛藤が西洋近代化の波に飲み込まれた20世紀初頭の中国社会の姿と重なる。

その葛藤はいい。観ていてもう一つすっきりしないのは、リンに対して「自分は活動写真しかない」と言い放った後も、リウは写真館店主に対して嘘をつき続けることだ。ましてや嘘が発覚した後に、弁明だけでなく店主に対して無神経に発言をするところも共感できない。夢を語るには適切なタイミングと場所を選ばないと、反感を呼ぶだけだ。

物事は新しい技術を生んで便利になるかもしれないが、そのことで損害を被るものも出てくる。本作品では“活動写真”の出現で“京劇”の観客が減っていく事例がでてくる。だが、その変化を恐れてはいけない。その変化の波をいかにして捉えていくか、その思考が大切だ。1905年、京劇の役者タンを主演に中国で初めて劇映画が撮影された。その意味は大きい。

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